正宗白鳥(1879-1962)は、明治41年の「何処へ」などで自然主義作家として認められたが、昭和期になると評論が活動の中心となる。人生に対しても文学に対しても批判的、懐疑的な傾向が強く、「永遠の懐疑者・傍観者」といわれる。戦後にも小説や回想的評論が多く、生命の長い文学者である。 正宗白鳥、本名は正宗忠夫は、明治12年、岡山県和気郡穂浪で生まれた。13歳のとき、民友社の「国民の友」を愛読し、はじめてキリスト教の存在を知る。15歳のとき、香登村のキリスト教講習所に通う。ついで岡山市に寄宿、病院に通うかたわらに、米人宣教師の経営する薇陽学院(米国より帰国した安部磯雄が主座教論)で英語を学ぶ。同時に、孤児院の院長の石井十次より聖書の講義を聞いた。明治29年、17歳のとき、東京専門学校英語専修科に入学。毎日曜、市ヶ谷のキリスト教講習所で植村正久の説教を聞く。夏、帰省の途中、興津で開かれたキリスト教