もう数年前のことだが、ボストンで開かれた日本文学研究会で『台湾万葉集』について研究発表をした時、コメンテーターを務めたドイツの学者からきびしい指摘があった。ドイツではナチス時代の作品を研究対象として取り上げる者はおらず、文学作品としての価値はまったく認められていないのに対し、台湾の日本語世代の詩作に光を当てようとする研究の意図がわからない。これらの人々を擁護し、彼らの政治責任に目をつぶり、名誉挽回を図ろうというのか、という趣旨であった。もちろん、台湾の日本語世代が戦前・戦後に書いた文学作品とナチス・ドイツ時代の文学を比較すること自体、首を傾げざるを得ない。歴史的な状況や自己選択の幅の相違は言わずもがな、そこには政治的主体性と言語的主体性の混乱がうかがえる。日本語世代を代表する『台湾万葉集』の歌人たちは、和歌という日本の詩形を通して、日本統治期の経験や終戦直後の転換期の困惑、そして次第に変遷
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