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福嶋亮大に関するkotobukuのブックマーク (2)

  • 『出口王仁三郎 帝国の時代のカリスマ』ナンシー・K・ストーカー(原書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「起業家としての宗教家」 日では、ベンチャー起業家はしばしば宗教家のように、つまり熱狂的な支持を集めるが、同時にきわめてうさんくさい存在であるように見られている。しかし、書が示すのは、その逆も言えるということである。すなわち、日の新興宗教の担い手は、まさに「起業家」に近かったのだ。 出口王仁三郎(1871~1948年)と、彼を指導者として擁した大教は、その後現れた無数の新興宗教の雛形のような存在である。著者ナンシー・ストーカーは、出口王仁三郎の伝記的事実を洗い出しながら、戦前から戦中にかけての大教の勢力拡大について論じていく。王仁三郎らの思想的基礎には、平田篤胤に遡るいわゆる「新国学」があった。彼らは、伊勢を中心とする明治の新政府において「抹消」(原武史)された、出雲大社を中心とする神道に親しんでいた。そのことが、大教を西洋化への抵抗と、農主義的なナショ

    『出口王仁三郎 帝国の時代のカリスマ』ナンシー・K・ストーカー(原書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 具象画の抽象性 - 仮想算術の世界

    『神話が考える』は書店に並び始めているようです。よろしければ、ぜひ。 さて、来月頭にGEISAI大学で講演することになったのですが、その関係で、大阪中之島の国立国際美術館でやってる「絵画の庭:ゼロ年代日の地平から」をふらっと見てきました。ゼロ年代の日画家の一つの傾向を知る上ではとてもいい展覧会だったので、関西圏在住で、未見の方にはおすすめしておきます。 で、パンフにも書いてありましたが、とにかくゼロ年代の美術界は抽象画が描かれなくなり、具象画に振れた時代だったと。実際、展示されてる作品を見ても、少女を描くにせよ、あるいは自然(なぜか「森」が多い印象でしたけど)を描くにせよ、とりあえず輪郭をちゃんと持った存在を前提にして、それをちょっとアートっぽく崩していくというのが、ゼロ年代的傾向だったということはよくつかめます。 もちろん、それはそれでいい――というか、時代ごとに戦線は違って当

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