小学6年生で「歌手になる」と宣言 長男と長女は、中学卒業とともに対馬を離れ、佐賀の私の実家に寄宿して高校に通いました。それは、ある日長男から「高校受験の参考書が買えない」と言われたから(笑)。それまで私もぼんやりしていたのですが、離島は書店も少ないし、ほしい本があっても、いまのようにネットですぐに届く時代でもない。そこで私もようやくハッとしたわけです。 当初、小児科医は私だけでしたから、夜に呼び出しがあれば何時でも病院に行かなければなりません。島に一人残った次女が眠るのを見計らい、こっそり家を出るのですが、あるとき彼女が眠ったふりをしていることに気づいた。互いになにも触れませんでしたが、子どもながらに事情を察し、我慢してくれていたんだと思います。 子どものために親が自分の人生を犠牲にする。それもひとつの生き方として賛美されるでしょう。でもね、母親も社会の一員なわけです。だから社会に責任を果
![(5ページ目)MISIAの母・伊藤瑞子「病気になってごめんなさい」3歳の長女が泣いた時、自分を鬼だと思った。周りに謝りながらの仕事と育児でみつけたもの 離島の病院に院内・病児保育室の開設。その姿勢は子供たちへ<前編>|話題|婦人公論.jp](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/9fb5442c2b31049fe973f74217c1231b7ce36075/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ffujinkoron.jp%2Fmwimgs%2F7%2Fb%2F-%2Fimg_7ba8d6f9d1fd56336d12fc58e2ec4cce55784.jpg)