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ブックマーク / fujinkoron.jp (4)

  • (5ページ目)MISIAの母・伊藤瑞子「病気になってごめんなさい」3歳の長女が泣いた時、自分を鬼だと思った。周りに謝りながらの仕事と育児でみつけたもの 離島の病院に院内・病児保育室の開設。その姿勢は子供たちへ<前編>|話題|婦人公論.jp

    小学6年生で「歌手になる」と宣言 長男と長女は、中学卒業とともに対馬を離れ、佐賀の私の実家に寄宿して高校に通いました。それは、ある日長男から「高校受験の参考書が買えない」と言われたから(笑)。それまで私もぼんやりしていたのですが、離島は書店も少ないし、ほしいがあっても、いまのようにネットですぐに届く時代でもない。そこで私もようやくハッとしたわけです。 当初、小児科医は私だけでしたから、夜に呼び出しがあれば何時でも病院に行かなければなりません。島に一人残った次女が眠るのを見計らい、こっそり家を出るのですが、あるとき彼女が眠ったふりをしていることに気づいた。互いになにも触れませんでしたが、子どもながらに事情を察し、我慢してくれていたんだと思います。 子どものために親が自分の人生を犠牲にする。それもひとつの生き方として賛美されるでしょう。でもね、母親も社会の一員なわけです。だから社会に責任を果

    (5ページ目)MISIAの母・伊藤瑞子「病気になってごめんなさい」3歳の長女が泣いた時、自分を鬼だと思った。周りに謝りながらの仕事と育児でみつけたもの 離島の病院に院内・病児保育室の開設。その姿勢は子供たちへ<前編>|話題|婦人公論.jp
    kotoripiyopiyo
    kotoripiyopiyo 2022/04/28
    MISIAのお母さま、こんなに真摯で素敵なお医者様だったなんて! : [life][子育て]
  • (4ページ目)俳優・塩見三省「脳出血で人生を中断されて。元に戻るのは不可能とわかったとき、声をあげて泣いた」 自分の物語をあとはゆっくり歩いていく|芸能|婦人公論.jp

    俳優・塩見三省「脳出血で人生を中断されて。元に戻るのは不可能とわかったとき、声をあげて泣いた」 自分の物語をあとはゆっくり歩いていく 「一所懸命生きてきた」と思えることは美しい 以前の住まいは東京・銀座に近く、リハビリを兼ねて、よくにタクシーでデパートへ連れていってもらいました。デパートの外のベンチに座ってぼんやり道行く人を見ていると、完璧に着飾って颯爽と車から降りてくる人も格好いいけれど、キャリーバッグをペットの犬のように連れて、ゆっくりとした足取りで歩くおばあさんの姿もまた魅力的だな、と感じるようになっていて、自分でも面白いと思ったものです。 器の欠けやヒビを漆でつなぎ、金粉などを蒔く金継ぎという手法がありますね。病気や老いでどこか傷ついた部分を抱えていても、それを自分なりにコントロールしながら生きる人を私は美しいと思う。 私たち団塊の世代がまとめて高齢者の仲間入りをするなか、やれ老

    (4ページ目)俳優・塩見三省「脳出血で人生を中断されて。元に戻るのは不可能とわかったとき、声をあげて泣いた」 自分の物語をあとはゆっくり歩いていく|芸能|婦人公論.jp
    kotoripiyopiyo
    kotoripiyopiyo 2021/11/15
    “でもさ、老人は、急に老人になったわけじゃない。それぞれに若いときがあり、職場や家庭で懸命に働いた時代があり、一人一人にかけがえのない物語があったはずです。”
  • いとうまい子「アイドルだった私が遺伝子の研究者になるなんて」 45歳から手に入れたのは壮大な趣味|芸能|婦人公論.jp

    芸歴37年、女優・タレント活動を続けながら、大学院へ通う学生生活を送っている、いとうまい子さん。45歳で大学進学を決意した経緯と、現在の日々について聞いてみると――(構成=内山靖子 写真提供=いとうさん) 夫の言葉に背中を押されて 芸能生活25周年を迎えたころ、社会に対して何か恩返しがしたいと思うようになりました。18歳でデビューして以来、この世界で仕事を続けることができたのも、長年、私を支えてきてくれたスタッフや仕事関係者、ファンのおかげ。周囲の方々に、何らかの形でお返しをしたかったのです。 でも、高校を卒業してすぐに芸能界に入った私は、恩返しの術を何も持っていなかった。そこで、まずは大学に入ってさまざまな知識を身につけ、自分にできることは何かを考えてみたいなと思って。 とはいえ、ドラマやバラエティ番組の仕事をしながら大学に通うのは時間的にかなり厳しい……。なかなか踏ん切りがつかないまま

    いとうまい子「アイドルだった私が遺伝子の研究者になるなんて」 45歳から手に入れたのは壮大な趣味|芸能|婦人公論.jp
    kotoripiyopiyo
    kotoripiyopiyo 2021/02/26
    素晴らしすぎる
  • 壇蜜「清野とおるさんとの結婚を決めたのは、ひとりで生きる自信がついたから」 「40歳までは生きろ」が家訓でした|芸能|婦人公論.jp

    日の『徹子の部屋』に登場する壇蜜さん。独特の存在感で男女問わずファンの多い壇蜜さんは、2019年11月に漫画家の清野とおるさんと結婚し、話題になりました。一風変わったペットを飼うなど、マイペースだったひとり暮らし。はたして2人の新婚生活はいかに(構成=内山靖子 撮影=宮崎貢司) 毎晩の日記とペットが私をリセットしてくれる 小学生の頃から、ずっと日記を書いています。最初は、学校の先生に言われて始めたのですが、自分の中で続けられることが、せめてひとつでもあったらいいなと思って。芸能界に入ってからも、ほぼ毎日、寝る前にタブレットで書くのが習慣になっています。 私の場合、日記は物事を忘れるために書くんです。嬉しいことも、そうじゃないことも、書いてしまえば次の日まで持ち越さずに済みますから。たとえ嬉しかったことでも、その感情をずっと抱えたままだと、生きていくうえで足かせになってしまうことがある。だ

    壇蜜「清野とおるさんとの結婚を決めたのは、ひとりで生きる自信がついたから」 「40歳までは生きろ」が家訓でした|芸能|婦人公論.jp
    kotoripiyopiyo
    kotoripiyopiyo 2020/07/14
    素敵。こういうマインドでいたい
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