友人が就職活動中、指定の履歴書に卒業大学名を書こうとしたら、枠からはみ出してしまったそうだ。たしかに、オシャレっぽい名前の大学だとか、色々盛り込んでみた感のある学部のような、やたらと長い大学・学部・学科名をよく見るような気がする。では逆に、履歴書等に書くのがラクチンな、総画数の少ない大学はどこなのだろうか? ということで、調べてみることにした。 前提・対象は文科省HP(国立、公立、私立)に掲載されている大学。短大は「短期」(24画)を含む時点でランク入りしないだろうから除外。 ・一般的な履歴書の記法にしたがい、学科まで書くこととする。学部・学科名は各大学HPによる。 ・画数は漢字辞典オンラインによる。 ・「大学」「学部」「学科」の画数は除く(ちなみに計47画)。 ベスト10順位総画数大学・学部・学科名922日本大学 工学部 土木工学科922九州大学 医学部 医学科821大分大学 医学部 医
小学生の時に出会って、中学卒業まで自転車で20分のゲーセンに足繁く通った。その頃はポップンが15くらいだったと思う。小遣いの大半を音ゲーにつぎ込んでいった。持ち前の負けん気からか、腕はめきめき上達していった。トラウマパンクEXを初めてクリアして、とても嬉しかったことを昨日のように覚えている。そのころから音ゲー以外のゲームをやらなくなっていった。ゲーセンに通い、100円を投入し続け、一人で楽しんでいた。友達はいなくなかったが、音ゲーをする友達がいなかった。高校に入ってもダラダラ続けていた。今まで通りゲーセンでは一人だった。別に一人でもよかった。とにかく、音ゲーをやっている時間が楽しかったし、酔いしれていた。浪人して、上京した。大学やtwitterを通して、色々な人と音ゲーをした。ずっと一人で音ゲーをしていた自分にとっては、人生で最も楽しい時期だったかもしれない。自由な時間も増え、バイト代も増
中学の頃洋楽にハマって「J-POP?(笑)」とか「まだそんなの聞いてるの?(笑)」みたいに邦楽をバカにしていた。今思うとガキだった。毛も生え始めたばっかだったし。俺と仲が良かったスギヤマはJ-POPが好きみたいでAKBだの、ももクロだの、よく大衆向けアイドルグループの曲を聴いていた。俺は内心でバカにしてるだけじゃなく、堂々とスギヤマを罵倒したりもした。スギヤマはIQが低い。俺に批判されても「難しいことわかんねえよ!」って笑って済ませようとする。俺なら売られた喧嘩はディベートして完膚なきまでに論破してやるのに。だけど、最近大人になってちょっと考えが変わってきた。さっきも言ったように、今までの俺はガキだったんだ。思ったことすぐ言うロケンローラー的な要素があったが、ロケンローラーは責任を取らない(笑)それじゃダメなんだ!話を戻すと、邦楽の良さは歌詞の抽象性にある。メタファーが効いていて、一言一言
勉強もだけど、それ以外で今思うと残念だなぁと思う事。 ちゃんとしたニキビケア「大人になったらニキビ出なくなるよ」「綺麗に治るよ」と周りの大人に言われ続けてたけど見事にあばた顔に! 逆に思春期にあれだけ悩んでたムダ毛は施術料金がお安くなりましたのでツルツルに。 ニキビ痕のレーザー治療はまだ高い。あと思ったより効果が…。 青春小説や映画を読んだり観たりしなかったキラキラした青春 という概念から距離を置いていた。すっぱいブドウ的な。 そう考える事自体が自意識過剰なんだけど、「客観的に見た自分の容姿や価値」みたいなのは置いといて 物語の主人公やヒロインに共感したり一緒に泣いたり笑ったりしなかった。 結局巡り巡って、そういう未熟さが見下しや理屈ごねの頭でっかちになるのかもしれない。 今改めて観ても面白くなさそうだしなぁ。若いっていいね!みたいなのが先にきちゃうとね。 いろんな映画や本にあんまり触れな
最近会社から帰って寝るまでの時間、常に焦燥感を感じる。 ダラダラ遊んでいていいのか、なにか有意義なことをしなくていいのか そんな気持ちがちらちらと湧いてくる。 別段生活がうまくいってないとかはそういうことはない。 会社はそれなりに仕事があるけど定時で帰れるし、週末は趣味を楽しんだり友達と遊んだりしている。 でもこのままでいいのか。なにか自分のスキルなり知識なり糧になるようなことをした方がいいんじゃないか。 でも何をしたらいいのか。勉強?なにを?それとも筋トレ?それとも創作系の趣味でも始めればいい? 昔そう思って絵や楽器を始めたりしてみた。当然長続きしなかった。 続ける程の情熱が湧く程好きになれなかった。向いてないのか。 そういう気持ちばかりが積もって焦る。焦るばかりでなにも動けない。 どう動いたらいいのか分からない。なにが正解なんだ。 もちろん正解なんかないのは分かっている。だからこそ迷う
30越えたおっさんなんだけど。 いまふと思ったんだけど、もしかして、多くの人にとって親というのは何かと頼りになる存在なのか? 経済的でも精神的でもなんでもいいんだけど、何か困ったときに相談する候補だったりするもんですか?
普段はこんな時間には帰宅しないのだけども、何気なく某23区内の駅近くを歩いていると、結構個性的な方がいるものですね。 ・交差点の進行方向が赤になり、反対側が青になった瞬間に、赤信号の方に向かって自転車で横断するおっさん →危うく車に突っ込まれてバラバラになるところでした ・いかにもギャルと手を取り泥酔状態で闊歩するお兄さん →なんか顔面に5枚くらい絆創膏が貼っているし何と戦ってきたのだろう なんだかみんな楽しそう。
昔から,友達つくるの苦手だった. でも,クラスメートたちから認められたかった. ゲームがうまいやつ,スポーツができるやつ,話がおもしろいやつ… そんな奴らを横目に見て,没個性的な自分を呪った.なにか自分にも秀でたものがあればと… そこで,自分は勉強を頑張ることにした. いい成績をとれば,皆から質問とかされるだろうし,きっと仲良くなれるに違いない. そう考えた. でも,そうはならなかった. もともと天才肌でもガッツリ努力するタイプでもなかった自分の成績は,せいぜい上位10%(地方の学校なので,そんなにすごくない). トップには程遠かった.誰も自分のところに質問に来ることはなかったし,自分のポジションも変わらなかった. それでも,僕はあきらめなかった.というか,あきらめることができなかった. 没個性的な自分から脱出したかった. もっともっと頑張れば,いつかトップになってみんなから認められるだろ
俺は、土日にハナクソの記事を書いた者だ(ハナクソの記事→http://anond.hatelabo.jp/20130824122536) もうここに降臨することは無いかと思っていたが、はてな匿名ダイアリーのトラックバック君が仕事を投げ出したので、拾わずにはいられない。 【はてなブロガーズサミット(サイバースペースにて)を開催すべきだ!!】 http://anond.hatelabo.jp/20130825202707 お前な、トラックバック君よ。 これ仕事でも通じることなんだけど、アイデアの丸投げはやめろ。 いいか。 「こんなことやったら面白いな。こんなことあったら楽しいな」 なんて考えるのは楽なんだよ。誰でも色々妄想するんだよ。 あんなこといいな♪ できたらいいな♪ ってな。 でも悲しいかな、現実にドラえもんはいないんだ。 大事なのは、「できたらいいな」を実行することだ。 お前の場合はア
典型的なADHD。診断済み。 今まで正社員、バイト、派遣など色々やってきた。でも、どこへ行ってもクビになるか、ミスをしまくって居づらくなる。不安障害にもなった。 いいようもない不安や苦しみが心の中を渦巻いてた。死ぬほど悩んだ。 でも、数年前、自身の苦しみの根源に辿り着いた。 正社員になって出世して彼女作って結婚してっていう人生の王道の価値観みたいなものにどこか憧れがあったんだ。それが間違い。そんな価値観というのは健常者のためのもの。健常者が作ったもの。俺みたいな人間が歩める道じゃない。 発達障害なりの王道を歩めばいいと思うようになった。王道というとおかしいか、好きに生きればいいと思うようになったってことだ。 別に仕事をころころ変わってもいい、安定なんかなくていい、別に派遣でもなんでもいいじゃんって。 それから実家にいながらずっとふらふらしてる。仕事始めたり辞めたりしながら。英語はそこそこ、
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