ブックマーク / cotovol.hatenablog.com (12)

  • タピオカより杏仁豆腐食べてる女性の方が好感が持てる - 心の教科書

    前記事:タピオカ飲んで騒いでいる馬鹿女たちは総じてクソ餓鬼だ タピオカの話から少し離れるが、私としてはタピオカが好き好き言っている女より杏仁豆腐が好きな女性の方が割と好感が持てる。別に私の趣味嗜好など話にとってはどうでも良いことなのだが、杏仁豆腐も中々の人気のあるスイーツであることはご存知だろうか? 確か私が中学生だった頃よりももっと幼かった時のこと、母親なんかはいつも杏仁豆腐をべたり家で作って家族にべさせていたのを覚えている。母の作った杏仁豆腐は少し固めのものだったがそこまで嫌いではない(正直に言うとお店なんかの柔らかくて程よい甘さの杏仁豆腐が好きではあるのだが)。 杏仁豆腐も中々の昔から存在し、且つ人気のあるスイーツだ。タピオカと比べてみるとその最大とも呼べる二つの違いはされる人の性格そのものだろう。 街なんかでタピオカを買ってよく飲んでいる女を見ると見た目が派手だったりクソ餓鬼

    タピオカより杏仁豆腐食べてる女性の方が好感が持てる - 心の教科書
  • タピオカは昔から人気なのに今飲む女がキモい - 心の教科書

    都会に住んでいるとよく分かるタピオカ女子の数の多さ。キャッキャしながらカメラで写真を撮って歩きながら飲んでいる姿を見ると中々気持ち悪い。地方だとそこまでタピオカタピオカしている人は少ないもの、最近ではタピオカの店が点々と増えている様子を見れば辟易するというか、せめてもっと静かにやって欲しいと思う。 そもそもいい歳した20代過ぎた女が「女子」を装っている時点で大分気持ち悪いのだが、どうしてもっと現実を見ようとしないのだろうか? というより何故、今になってタピオカがここまで取り上げられるようになったのだろうか?タピオカなんて別に今始まった飲み物では無いのに。 私は中学生だった頃、修学旅行で東京に訪れた。そこで横浜中華街あたりを散策していた記憶があるのだが、ふとクラスメイトに目を向けると何やら変わった飲み物をいきなり手渡されたのを覚えている。それが私の人生で初めてのタピオカとの出会いだった。

    タピオカは昔から人気なのに今飲む女がキモい - 心の教科書
    koujikunma
    koujikunma 2020/01/13
    どうなっているんでしょうね?私も一度飲みましたが、2度目は…という感覚でした( ゚Д゚)
  • クソ息子に褒めても意味はない - 心の教科書

    前記事:気持ち悪い「ストーカー女」は人の心に無自覚 クソ息子に褒めても意味はない このように話していたりすると「あなたはいつも『心の悩み』をテーマに話をたくさんされていますけど、そんなに悩んでいたら疲れてきませんか?」という声が出てくるかと思われる。 確かにその言葉の言う通りである。悩むということはとても疲れてくるものなのである。大抵の方はこの「疲れる」のが嫌だから悩むことから逃げ出してしまうのだ。 私が聞いて驚いたエピソードがある。ある時たまたま、その方の話を聞くことになったのだが、ある母親と小学生になる息子との会話である。 ある日その子どもが家でゲームをしていたところ、母親が子どもに尋ねてきた。「ねぇ、今日の学校からのカバンを見たけど宿題があったんじゃない?どうするの、お母さんあんまり言わないよ?宿題やらないで、明日にでもなったらどうするの!?」 するとその息子はこう答えた。 「いいよ

    クソ息子に褒めても意味はない - 心の教科書
  • 気持ち悪い「ストーカー女」は人の心に無自覚 - 心の教科書

    前記事:「教育熱心」な親は馬鹿が多い 気持ち悪い「ストーカー女」は人の心に無自覚 この話とは別に「嫌われる人」というのはたくさんいることだろう。例えば恋愛における話である。 ある女性の方はとある男性のことを一目で見た瞬間とても好きになった。 いわゆる「一目惚れ」というものなのだが、女性の方は「どうやって話しかけたら良いのだろうか」「誕生日はいつなのか?メールアドレスの交換はどうしたら良いのだろうか?」とあの手この手でその好きな男性に対する接近を試みる。 その姿はどんどんエスカレートしていき、ついには占いに頼ってみたり偶然を装ってその方に話しかけたりする。そして幸か不幸か、ついにその方と連絡のやり取りが出来るようなるのだが、何故か今度は上手くいかなくなる。朝起きた際に「おはようございます。」とメッセージを送り、最初は返事を返してくれていたのが徐々に雲行きが怪しくなるよう無視されることが増えて

    気持ち悪い「ストーカー女」は人の心に無自覚 - 心の教科書
  • 怒りは火山のように2 - 心の教科書

    前記事:怒りは火山のように 父親はここで初めて溜まりに溜まったマグマのように吹き出しそうな怒りをぶつけ出してやろうかと思ったが、幸か不幸か行動を移すには至らず「ハハハッ、まあね。」と笑ってごまかした。 それからというもの、この日を境にこの家庭の日常はみるみる変化していった。娘が夜遅くまで学校の友だちと遊びに歩くようになり、も何故か不機嫌そうな顔をやたらと見せるようになり「悪いけど洗濯先にやっちゃうから、後で終わってから自分の服とか洗濯してね。」と悪意とも取れるような言葉を聞くようになった。 そしてこの父親の行動を決定づけるものとして、息子が父親自身の財布からお金を盗み出しそのお金でタバコや酒を手にして飲んでいたことが発覚したのである。 父親はついに激怒した。娘に対しては家に鍵をかけ入れないようにし、泣いて謝るまで暗い夜の外に放置、息子に対しては殴りにも殴りそれも当に殺してしまうのではな

    怒りは火山のように2 - 心の教科書
  • 【理想の夫】家族サービスをする父親 - 心の教科書

    前記事:言いはじめたのなら話し合いを続けよう feat.河合隼雄 なので今回は、一度話し合いを始めた後のことについて考えていこうかと思う。「話し合いをする」ということはどういうことなのか? もしこのことが分かっている方であれば、別に見る必要は無い。ページを閉じて下さっても結構だ。私が書く記事というのは人の心についてわからない、悩み苦しんでいてどうしようもない方に向けられたものなので、悩む理由がわからない人に対しては書かれていないのである。この点については『心の教科書』の目次でも話したのと同じだ。 また、この記事のタイトルは知っている方は知っておられるかもしれないが、私が好きな河合隼雄(著)『心の処方箋』の一部タイトルと全く一緒である。誤解を招かない為に予め申しておくとするのだが、を読んでいて私なりに、私自身の言葉でこのことをたくさんの方に知ってもらいたいと思えるような感動的な内容であった

    【理想の夫】家族サービスをする父親 - 心の教科書
    koujikunma
    koujikunma 2019/12/28
    ワクワク('ω')ノ
  • ブログにおいて雑記や日記を書く方はどこまで本気なのでしょうか? - 心の教科書

    どうも、わたです。 垢BANの危機真っ最中なのですが、 新カテゴリーを新設しました。 その名も 雑記 ・・・普通ですね。ハイ 僕は普段、1日に一記事ずつ投稿するように心がけています。その意図は丁寧な記事を書く為。 「1日に一回しか投稿出来ない」という僕だけのマイルール、制約をかけることで少しでもクオリティのある記事を、適当な記事を書かないようにするためでした。 もちろん人によってはこんなことしなくても丁寧な記事、良質な記事を書ける人はたくさんいるかと思います。つまり僕が僕のために設けたものなんですね。 やってみて実際にプレッシャーも感じることもできましたし、自分でも記事に没頭して感情のまま記事に心を込められたと思っていました。 しかしどんなことにも大体「欠点」というものがあります。それは、人の心というのはその時々によって変化するから。 変化するからこそ求められることも変わってくるのです。人

    ブログにおいて雑記や日記を書く方はどこまで本気なのでしょうか? - 心の教科書
  • はじめに4(ブログの書き方 入門) - 心の教科書

    前記事:はじめに3(ブログの書き方 入門) もし私が述べた方法以外で良いブログを書き続ける方法を知っているのであれば、ぜひ教えていただきたいくらいだ。尤も、大抵そのような方法というのは何処か浅知恵的でやっていても対しておもしろくもなんともない、それどころか話している人が結果を出すどころか実践すらされていないことは安易に想像出来るかと思われるが。 余談ではあるが、このような手法で人から高額な金額を上手いことバレないように心理的に搾取している人は腐るほどいるように見える。 テレビに出ているような、有名な名前のある人でさえもこのような怪しいやり方をしていたりするものだから、今の情報社会というものは素人に全く優しくないというか、非常に恐ろしい限りだ。まるでスラム街の生写しと言っても良いかもしれない。 結論を急いでいるような「こうすれば上手くいく」というような商品は「間違いない」と言って良い程、金

    はじめに4(ブログの書き方 入門) - 心の教科書
  • はじめに2(ブログの書き方 入門) - 心の教科書

    前記事:はじめに1(ブログの書き方 入門) 私は普段、1000人以上もの書いてくださった記事をなるべく多く見て回るようにしてはいるが、その中でどちらかと言うとあまりよろしく思われないように考えながら書いている方がたくさんいるように感じ、何だか居た堪れない気持ちになってしまった。 その果てには「ブログを書いても楽しくもなんともないから」と以後それっきり、かもしくは誰かの書いた記事を読み回っている、なんて方もおられるだろう。これはブログを書いている方からしてみればやはり誰もが一度は心の中で感じた、些細で身近な「悩み」であるかと思われる。 そのような方に向けて「そもそもの話、まずこのように考えてみるのはどうですか?」と思わず意見を述べたいと思ってしまったのが2つ目の理由である。 ここで私が「意見」と強調して述べているのは、この「ブログの書き方 入門」というタイトルだけに釣られて「そうか、じゃあこ

    はじめに2(ブログの書き方 入門) - 心の教科書
  • 覚悟が足りない日本人の課題 - 心の教科書

    前記事 「思いやる」ことで都合良くぶつかり合いから逃げようとする日人 覚悟が足りない日人の課題 ここで「そうか、じゃあ意見をどんどん恐れずに言えば良いのだな。」と考える方の為に述べておくとすれば、考えが非常に甘い素人の浅知恵も良いところなのでハッキリ止めるよう言っておく。 これまで話した通り、このことは日という国そのものが女性的な心を持っている傾向があるので、もし意見を誰彼構わず言おうならばそれはあまりにも無差別的、爆弾魔も良いところだろう。事実、私がかつて大学で積極的に周りのことも考えずに発言していた事と同じことなのだ。 それでは仮に、教わったことに対して上手く意見を言えたとしてもそこはやはり相手も日で育って来られた方なので、反論に対してするりとかわされてしまうことはほぼ間違いない。つまり、「そうだね。君の言っていることわかるよ。」などと心底思ってもいないことを口にして相手にされ

    覚悟が足りない日本人の課題 - 心の教科書
  • 「思いやる」ことで都合良くぶつかり合いから逃げようとする日本人 - 心の教科書

    前記事 「話し合い」をしようとしない日の心 「思いやる」ことで都合良くぶつかり合いから逃げようとする日人 そしてこのような心を持っているからなのだろうか、日は「教える」ということに対して否定的な考えが根付いているかと思える。 「教える」ということは、つまりそこには「教える側」と「教わる側」二つの両者関係が存在する。例えば学校における生徒と先生は「教わる側」と「教える側」の関係だろうし、会社の仕事なんかでも必ず仕事をする部下とそれを見守る上司という存在がある。このどちらか一方でも欠けてしまうというのは基的にあり得ないことだ。何故ならば、自身が自由に動く為に責任が付いていなければそれはただの放任になってしまうからである。 会社に勤めていればすぐ分かるかと思われるが、仕事を初めて数日〜数ヶ月で辞めてしまう人は結構多い。 この現象に潜む背景というのは、一体何があるのだろうか?私はこう考えた

    「思いやる」ことで都合良くぶつかり合いから逃げようとする日本人 - 心の教科書
  • 「話し合い」をしようとしない日本の心 - 心の教科書

    前記事 甘やかされて育つ「日」という国 話は少し飛躍するが、人の心を考えた時その人によって心の捉え方が全く違ってくるのと同じように、国によっても心の形というものは違っていたりするようだ。 例えば欧米で長年生活している方はすんなりとわかる話かもしれないが、欧米人の方の心というのは日人の心とだいぶ変わっている。そのことが分かる部分として会社での働き方があるだろう。 日の会社に勤めていれば上司が帰るまで残業していなければならないだとか、飲みに誘われたらなるべくついて行かねばならないなど相手の心を考えて行動しなければならない風潮がとても強い。しかしこれが欧米の会社であったりすれば、定時にはすぐ会社から出る、仕事を頼まれても簡単に断るなど日人の我々からしてみればまるで相手に対する気遣いが足りないのでは?と思いたくなるような心を持っている。が、実はこれが欧米に住む方にとっての当たり前の接し方な

    「話し合い」をしようとしない日本の心 - 心の教科書
  • 1