うまくまとまっていなくて、でも数日来ずっと気持ち悪いので、書き留めておく。 ブータンをほめる人、とりわけ「国民総幸福」(Gross National Happiness)をほめる人が、ちらちらネット上に目に付く。金銭的な富の獲得を生の第一目標におかない、というのは自体には反対する余地があまりないけど、わたしはこの概念が嫌いだ。いままでも嘘嘘しく嫌なものを感じてはいたが、はっきり嫌いなのだとこの数日考えてわかった。 だって「国民」「総」「幸福」ですよ? 個人の幸福じゃないんだよ? 嘘寒いとしかいいようがない。幸福てグロスで、つまり足しあげて評価できるようなものなんだろうか? そこがまず信じられない。なんというかプラトンの国家篇が追求したような幸福がそこにはあるんじゃないかという疑いが捨てきれない。つまり国家の、「国民全体」なるなにかの幸福がまず定義されていて、個人がその部分として規定されてい