水風呂のすゝめ 毎日めちゃくちゃに暑い。 ここ数年「およげ!たいやきくん」のように昼間は太陽とオフィスビルとアスファルトの三方向から押し寄せる35℃オーバーの熱に挟まれ、夜になっても最低気温が27℃くらいまでしか下がらない。そんな理不尽な東京鍋の中の暮らしが毎年のことにな…
前の記事 「氷の無い北極」に備える各国の軍隊 子どもがだまされにくい理由:「エビングハウス錯視」研究 2009年12月 1日 Bruce Bower エビングハウス錯視の例。実際には同じ大きさだが、左側のほうが小さく見える。画像はWikipedia 百聞は一見に如かずというが、時には見ることで騙されることがある。そしてそれは年齢によって異なるようだ。子どもと大人では、同じ物体でも大きさが異なって見え、大人が騙される錯視に子どもは騙されないことが、最新研究によって明らかになった。 錯視の起こしやすさに子どもと大人で差がある、というこの研究結果は、視覚を部分で捉えず、視覚全体を文脈として把握しようとする脳の能力がゆっくりと発達するものであることを示唆していると、スコットランドにあるスターリング大学の心理学者、Martin Doherty氏らの研究チームは述べている。同チームは、『Develop
レヴィ=ストロースが亡くなりましたにゃー。生きたまま即身仏になったのではにゃーかと思っていたけど、やっぱりニンゲンだったかー。 さて、僕の脳内のレヴィ=ストロース鎮魂のために*1、数学野郎・プログラム野郎どもにお知恵を拝借したく思いますにゃー。 お題は 平面上にいくつかの点がある。点と点が線で結ばれている。1本任意の1点から出ている線の数はN。任意の2点を取り出すと、その2点は直接、あるいは、別の1点を経由してつながっている。このような状況が可能な点の個数の最大値は? 知り合いの数学野郎に聞いてみたのだけど、一筋縄でいかにゃー問題みたいですにゃ。 で、 なんでこれがレヴィ=ストロースに関係があるかについては以下で説明しますにゃー。 ダンバー数とは? 「人間とは何か」京大霊長類研シンポジウムレポート(前) - 地下生活者の手遊び 「ありもしないものを見る」のが人間@京大霊長類研シンポレポ(後
「なんだこりゃ」と思ってよく“読んで”みると「へー」と驚くコピペ文章が最近2ちゃんねるに登場し、スレッド(スレ)の本題そっちのけでコピペに関する考察レスが交わされる……なんてことも起きている。 コピペ文はひらがなとカタカナだけで書かれており、一見すると2chでたまに見かけるうわごとにしか見えない。だがよくよく“読んで”みると、「確かに読める」と、ちょっと驚く。どうして「読める」のかは、コピペ文自体が説明してくれている。 「【ネット】「ウィキペディアが与える影響を調べるため」学生がもっともらしい嘘の書き込み 多数の欧米大手紙がだまされて引用」では、このコピペが2レス目に登場。「読めた」「人間の脳すげー」といったレスが相次ぎ、本題へのレスと入り交じって何のスレなのか分からない状態になっていた。 コピペが登場したスレには、人の記憶と認識に仕組みについて考察や、読める人と読めない人の違い、現象学的
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静止画が動いて見える「エニグマ錯視」の原因は 2008年12月 1日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) Brandon Keim Isia Leviantの美術作品『Enigma』(謎) Image: Michael Bach 静止画が動いて見える、というよく知られた目の錯覚は、無意識の急速な眼球運動が原因だとする研究結果が発表された。 マイクロ・サッカードと呼ばれる眼球運動[目が1点を注視する際に行なわれる小さな運動の一種]を抑制したところ、エニグマ錯視――ちらついたり回転しているかのように見える画像――が静止したままに見えたと、被験者らは報告したという。 [エニグマ錯視とは、上に掲げた1981年の美術作品『The Enigma』の中心部に視線を固定すると、色の部分にちらつきや回転運動が見えるという現象] マイクロ・サッカードがどのように視覚に影響を与えている
自閉的ファンタジーという言葉を聞いたことがあるでしょうか。 アスペルガー(高機能自閉症)の人は皆、ファンタジーの世界を持っています。全てのアスペルガーに共通する特徴だそうです。 誰でも(定型発達者でも)夢や空想を思い浮かべることはあるかもしれませんが、そのような一般的に言うファンタジーとは全く性質の違うものです。 ぼんやりした夢とか空想ではなく、また、SFっぽいものでもないし、メルヘンチックなものでも無い。 私のファンタジーの世界は、とても具体的でリアルな感覚を持つ世界です。 今こうして生活している現実の生活とは別の、もう一つの世界があって、実際にそこで生活をしているような感覚を持つのです。 私は1日の多くの時間を、ファンタジーの世界(つまり、もう一つの世界)で過ごしています。 物心ついた頃からずっとです。 現実の私はもう30歳を過ぎてますが、ファンタジーの世界に居る架空の私は、まだ20代
文字を色で、香りを形で感じる人たち:「共感覚」と比喩 2008年9月 8日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) Brandon Keim 色を「聴く」、味を「見る」といったことができる人がいる。こうした人々は「共感覚者」と呼ばれ、異なる知覚領域が組み合わさって感じられる。 [共感覚とは、ある刺激を受けたとき、本来の感覚に他の感覚が伴って生ずる現象で、印刷された文字が色となって感じられたり、香りが形を伴ったり、話し言葉が虹色に見えたりする(日本語版記事)。 過去記事「VRもオーラも「共感覚」の一種?」によると、共感覚者は、多く見積もると2000人に1人の割合で存在する可能性がある。共感覚が起こるのは、脳の複数の部位が同時に活動するからだと考えられており、共感覚者においては連結されている脳の部位が、共感覚者以外の人では、発達のある段階で切断されている(新生児の脳に見ら
私なんか、他人は私をわかってはいないな、という以前に、関心すらもっていないな、私は本質的にこの世界・世間の傍観者だなと、とは思っている。なんつうか、なんかの間違いで存在してしまったような。 それはそれとして。 自分に疑念を持たない一群の人がいる。罵倒とかする人とか、自分が頭がいいと思っている人とかもそうかな。こういう人たちも、自身を人がわかってないな、バカばかりだなと思っているのだろうけど。 そのあたりの人に出会うと、ネットでもそうかな、私は引くなあ。 よくわからないのだけど、そのあたりの人が私に絡んでくるとさらに、困惑する。それって原理的に無理でしょ。ようするにあなたらは私の思念などゴミというか無価値だと思っているのでしょ。(でもだったら私をほっといてねというか。) で。 矛盾しているのは、私はそうはいっても、どこか私を無視しないでメッセージを微妙に出しているのだろうなというのと。 それ
感性を育てる?「自分にはデフォルトで個性があると思っちゃっているんだね。アーティストにしろデザイナーにしろ、美術を志す者にとっては個性というのは獲得目標のはずなのだが、最初から自分に個性があるなどという戯れ言をガキのころから吹き込まれている」「生まれつきそれぞれが持っている違いというのは、個性ではなくて【個体差】にすぎない。個体差は卑下するものでも称揚するものでもないはず。」「個性というものは目標としてあるもの。もちろん、個性は個体差を生かしたものになるだろうことはわかる。しかし、生の資質を個性とはいわない。個性と個体差の違いがわからないのは文化とはいわない。」そもそも君らに個性などない - 地下生活者の手遊び これを読んで、知り合いのNくんのことを思い出した。Nくんは、美術大学まで行って絵を勉強したオーソリティーなのだが、絵については一種の天才で、子供の頃にこんな経験をしたのだそうである
Real-life examples may not be best for teaching maths - BPS Research Digest 身近な具体例の利用は数学学習の助けにならない ― いきいき健康 NIKKEI NET 子供たちに算数を教えるのに,実世界の例を使うのは,いい方法のように思える。分数を教えるのにピザを使ってみたり,小数を教えるのに瓶と水を使ってみたり,とかね。紙の上で「これはこういうものだから,とにかくこうなるんだ」なんてふうに叩き込むよりも,目の前で実際に起こる出来事として見せた方が,実感をもって学ぶことができるんじゃないか……と。 ただ,こういった手法を数学の領域にまで持ち込むのは,あまりいい方法とは言えないかもしれない。オハイオ州立大学の Jennifer Kaminski らが大学生に対して行った実験によれば,抽象的な記号などを使って数学問題を教えら
前エントリにも関わるノイズについて、もう少し思うところを書いておく。 ・304 Not Modified: インターネットで情報収集するときに必要なこと ノイズを許容しなさいというリンク先の主張は重要だと思う。ノイズのないウェルメイドな情報ばかりを求める。その手の受動性は、インターネット自体を諦めるという極端な結論を招きかねない。また、過剰なノイズリダクションは情報の多様性を圧殺してしまう。これではインターネットが齎す豊穣を十分に享受できなくなる。重要なのはノイズ判定の精度をあげることだ。ソフトウエア的なフィルタリング技術向上に期待せよという話ではない。自ら脳の判定精度を鍛えようという話である。情報の排除率を上げるためではなく、下げるための精度向上である。 強度のない脆弱な価値観はノイズ許容度を下げる。排他的になる。自分の価値観を守ろうとする力が大きく働きすぎるせいだろう。たとえば「○○死
OKボタンの位置はどこが適切? 「OK」「キャンセル」、どちらが先か? やっぱり[OK]ボタンは右なんだよ - ぼくはまちちゃん!(Hatena) はまちちゃんの記事は「OK」を右に統一しようぜ!Windows の「OK」ボタンが左なのは訴訟対策だよねって内容。ユニバーサルとして統一した方がユーザーは扱いやすいですが、問題は「OK」ボタンは左にあった方が使いやすいのか、右にあった方が良いのか、どっちなんだい!ってことですね。というわけで、色んなボタンの右左を例に挙げて考えて見ましょう。 以下断りを入れない限り、視点は使用する人から見て右にあるか、左にあるかである。 ゲームコントローラ Where Gamers Do More Than Just Play - HaHaUK: Evolution of the Controller 僕がゲーム好きなので、ゲームコントローラの左右を語るが、ファ
フェロモンボディのボディソープを買いました。 スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...
エッセイ的な「何か」です。 エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑) 物事をカテゴライズする行為というのは、その物事を「分かり易くする」という意味でとても有効な手段だと思います。 始めて触れる場合であっても、あるカテゴリーで検索した結果見つけた物だったりすると、予めおおよその見当を付けられるという効果が考えられるし、既に持っている資料もだたそのまま抱えているよりも、カテゴライズして管理しておくと後に利用しやすいし、分かり易くなります。 ただ、逆にこのカテゴライズという行為に捕らわれすぎて、逆に物事を難しく考えてしまっり、混乱しちゃったりすることもあります。 最近では、自分のこのブログを書いていて「はて?カテゴリーは何に該当するかな?」とか思ったりする事も多いです。 俺の場合、とりあえず頭の中にあるイメージというか漠然とした思考を文字に置き換える
目が生まれつき見えない人に話を聞いたことがある。「言われてみればそうですね」という発見の連続だった。声が聞こえてくる位置から相手の背の高さが分かる。猫なら猫という動物がどういうものかは、触ったり持ち上げたりした感じによって作られる。逆に、触れたことがないものは未知の存在であり、どういうものであるかの知識や実感がなかなかもてない。などなど。 とりわけ思いがけない指摘がひとつ。彼らは、点字と同じポツポツの線画を使って様々な形を表わしたり教わったりするという。たとえば日本列島がどんな形なのかなどもそうした描線で学習できる。さてある日、目の見える人がその線画でバケツの絵を描いたそうだ。しかしそれに触って彼らは首をかしげてしまった。「バケツはこんな形をしていませんよ」。 その絵はバケツを斜め上から眺めた形だったのだ。三次元の物体を二次元の絵に落とし込むこのやり方は、ごく当たり前に感じられるが、じつは
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