「奥多摩」という名称は、昭和初期、日本百景が選定されたときに多摩川上流の美しさを「奥多摩渓谷」として推奨したのが始まりという。 美しい渓谷は同じ時期に、首都の水がめとしても注目された。膨張する東京の水需要をまかなうため上流をせきとめてダムが造られ、昭和32(1957)年に完成して「奥多摩湖」と名づけられた。ダムに沈んだ村は「奥多摩町」になり、最寄り駅のJR青梅線終点は「氷川駅」から「奥多摩駅」に名を変えた。 奥多摩は都心から3時間で到着する景勝地として、都民に親しまれる名前になった。しかし、都会は移り気だ。一時は年間250万人あった観光客は140万人に減り、過疎も進む。まだ肌寒い早春の食堂では、ご亭主が湖底の故郷を静かに見守るだけだった。