「社会は多様化している」とか「多様性を認めよう」という言葉は、昨今頻繁に耳にする。一方で、それができていない実情に触れる機会も多い。そういう実情に触れると、また「社会は多様化しているのだから、多様性を認めよう」という話が周囲で展開される。「周囲」というのがポイントだ。それを繰り返している気がする。 それで多様性について考えてみたのだけど、「社会は多様化しているのに、多様性を認められない」根っこには、多くの人が「社会」を対岸の火事として捉えているからというのが一因にあるのではないかと思った。つまり、社会のことと、自分の身近のことは別と。 定職に就くも就かないも自由だが、自分の子どもが定職に就かないのはいやだとか、子持ちで離婚するもしないも自由だが、自分の近しい友人だったら許せないとか、同性愛者が世の中にいるのは認めるが、親兄弟・大親友だったら認められないとか。 でも、それは多様性を認めている
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