水曜日、早めに出社してお仕事。午後から出掛けて、都内で打ち合わせ。東京ステーションギャラリーへ。『パロディ、二重の声』を見る。 60年代70年代のパロディの意気が良かった時代を概観、横尾忠則や赤瀬川源平などから、ビックリハウスにヘンタイよいこ新聞に全冷中に…と見て行くと パロディの意味そのものよりも、そんな時代もあったねぇ、と懐かしく見てしまうところが、現代のパロディの地位失墜をまさに現しているのかもしれない。 最近のマナー広告の反動ぶりから俄かに再評価されている河北秀也の営団マナー広告もあるし、ポルの王子さまや、最近なら無理そうな表現の数々や。 そして、最後のコーナーではマッド・アマノのいわゆる「パロディ事件」の判決文そのものがパロディとは何かを考える材料になっている、良い構成だった。パロディ事件の判決を報じる朝日新聞のフジ三太郎が、かなりアカン内容で、こんなところにも時代の違いを感じた
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