コミカライズというものは作画者自身の解釈あってこそ成功するものであって、原作まんまのコミカライズというのは、はっきり言って凡作の域を出ないものになる。 何の解釈も無しにそのまんま描くのなら原作をそのまま読めばいい。大事なのは描き手がどう感じたか、だ。 その点、この「人間失格 壊」は条件を良く満たしている。 どう感じたか、でなく、作者である二ノ瀬先生が主人公の大庭葉蔵に完全に自己投影しつつ描いている。 感じるどころかなってしまっているのだ。 今作の主人公は大庭葉蔵でありながら二ノ瀬泰徳、俺が大庭葉蔵だ。 巻末のインタビューからもそれがうかがえる。 勝手に僕の事を小説にするな! 共感なんてレベルじゃない。同化だよ。 二ノ瀬先生を焚きつける編集者もできておる楠。 壊というタイトル通り、確かに原作を壊しすぎている点もある。 原作を神聖視している方にはひっかかる表現方法かもしれない。 しかし、壊して