明治維新によって、武士の暮らしは一変した。「士族」という名称こそ与えられたが、給料にあたる「家禄」は廃止され、帯刀も禁止された。経済的に困窮し、アイデンティティも崩壊した。それでも一部の士族出身者は、実業界に転身し、成功した。その足跡が、佐賀の米取引に残る。 明治6(1873)年、政府の地租改正により、税の主流は、米などで納める「石納」から、貨幣の「金納」に移行した。江戸時代以上に、米の現金化が必要となり、各地に相場で売買する米会所や取引所が設立された。 佐賀では同27年、「佐賀米穀取引所」(前身は佐賀米外二品取引所)が設立された。この取引所に深く関わったのが4人の士族出身者だった。 設立から4年が経過した31年の幹部4人を紹介する。理事長が牟田萬次郎(旧鹿島藩士、1860年生まれ)、理事・黒田平八(旧諫早藩士、1843年生まれ)、監査役の佐野直(旧柳川藩士、1856年生まれ)、牟田の次の