「東の浅草・西の新開地」。戦前、戦後、神戸随一の繁華街として栄えた新開地(神戸市兵庫区)。仕事を求める労働者が全国から押し寄せ、まちには数多くの簡易宿泊所(通称・ドヤ)が並んだ。にぎわいは三宮へと移り、バブル崩壊、阪神・淡路大震災、リーマンショックなど、平成に入り幾度となく襲いかかる苦難の中で、まちは“縮み”、労働者は姿を消した。新開地に唯一残る簡易宿泊所「三和ホテル」を訪ねた。(西竹唯太朗、杉山雅崇) ■アンコの足音で目が覚めた ホテルに向かう前、にぎわいを見せていた頃の様子を地元の人に聞いてみた。 「50年ほど前には“アンコ”が2、3千人おって、足音で目が覚めた」。祖父の代から新開地で理容院を営む高四代さん(72)が語る。高さんいわく、地元では、日雇い労働者のことをアンコと呼んだ。かつては新開地南部に、手配師が日雇い労働者を集める「寄せ場」が数多くあり、100台を超すマイクロバスが市内
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