東寺(とうじ)は国家鎮護の寺として794年に創建された。823年、東寺は真言宗を開いた空海(弘法大師)に与えられ、以後密教の拠点として栄えることになる。平安時代末期、後白河法皇の皇女・宣陽門院は弘法大師に深く帰依し、多くの荘園などを寄進した。中世の東寺は荘園領主として勢力を誇るとともに、弘法大師信仰の中心として貴族・武士や庶民の信仰を集め、学術・文芸・美術の中心地となった。 この東寺で組織的に収集・保管・保存されてきた文書を総称して「東寺文書」と呼ぶが、このうち江戸時代前期の1685年、学者としても知られた加賀藩5代藩主前田綱紀が東寺所蔵の史料を調査した際に、多数の桐箱の中に厳重に封印したものを「東寺百合文書」と総称する。「東寺百合文書」はその後東寺に秘蔵されていたが、明治維新後の混乱の中で東寺から京都府に寄贈された。また、綱紀が書写させた資料の大部分は金沢市図書館加越能文庫に収められてお