国家の秘密はときに悲劇を生む。終戦前年の一九四四年、北海道近海で二千数百人の陸軍兵を乗せた輸送船「日連丸」が米軍に沈められた。事件は軍機保護法により軍事機密として伏せられ、うわさした人も同法違反で刑務所に送られた。死んだという事実しか知らされなかった乗船者の遺族は戦後、最愛の肉親の最期の地を求め、三十八年間も道内をさまよった。 (飯田孝幸) 北海道・釧路港から東に約五十キロ。厚岸(あっけし)町の海岸近くにある正行寺(しょうぎょうじ)に一九八二年七月初旬、釧路市役所から電話が入った。「日連丸の遺族が遺体の漂着した場所を探している。何か知りませんか」。当時住職だった朝日正芳さん(95)の脳裏に、家族にも長年秘してきた出来事が浮かんだ。