蛭子さん、「永遠の0」山崎監督にまさかの一言「涙が出たからといっておもしろいとは限らない」 2017年3月4日18時11分 スポーツ報知 蛭子能収氏 漫画家の蛭子能収氏(69)が4日放送のフジテレビ系「かたらふ ~ぼくたちのスタア~」(土曜・後5時)に出演し、漫画家になった原点は、大阪万博に向かわず東京に来たことだと明かした。 無類のギャンブル好きで知られる蛭子氏。18歳で高校卒業からできるパチンコをしたいために、卒業式からまっすぐにパチンコ店に向かったことや、20歳からできる競艇(現ボートレース)をやるため、20歳の誕生日に競艇場にいたことなどを語った。 長崎で高校を卒業してから地元の看板屋に就職。仕事の内容がつらくても、生活をしていくためやめるにやめられなかった。しかし22歳の時、大阪で行われている万国博覧会を見に行きたいと休みをもらい、大阪に寄らずにそのまま東京に来てしまったという