いきなり余談だが、今回の原稿は基本的になにも調べず、頭に浮かぶ想い出をただ順序だてて紹介しようと思っていた。その記憶では池田憲章先生(なぜセンセイなのかは少し後でわかる)に出会ったのは昭和53年、私が中学一年生のことだった。ところが念のため調べてみると、どうも整合性がとれない。おそらくこれは昭和54年、中学二年生のときのことだったらしい。万事この調子で申し訳ないが、ご勘弁いただきたい。 改めて昭和54(1979)年6月、恒例の教育実習の時期に、池田さんは現代国語の実習生として私たちの教壇に立たれた。当時の現国は中村秀真という教諭が受け持たれており(余談だが、あだ名はもちろん電光ホツマである)池田さんは中高のOBでもあり在校中は秀真先生に受けもたれていたということだった。その実習の期間、友人が先に気付いた。 『なあ、池田ケンショーって、ヒーロー列伝じゃね?』 私が通っていた中学は私立の進学校
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