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ブックマーク / goldhead.hatenablog.com (3)

  • 夢と狂気の王国、スタジオジブリ - 関内関外日記

    「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 ちょっと前に、こんな記事が話題になっていた。スタジオジブリ、鈴木敏夫、高畑勲、そして、宮崎駿。おれはものすごく突出してジブリが好きというわけではないが、標準的にジブリは好きだ。そして、なによりドキュメンタリー番組でなどで見る宮崎駿、アニメファンの間で語られる宮崎駿伝説などが面白くてしかたない。 というわけで、上の記事もたいへん興味深く読んだ。なかでもこの箇所が一番グッときた。 氏家さんは徳間書店の社長、徳間康快と同じ読売新聞の出身。経営者としても仲がよく、徳間の葬儀では弔辞を読んでもらいました。そのお礼を言いに訪ねていくと、氏家さんはしみじみと語りました。「徳さんはすごかったな。会社から映画まで自分でいろんなものを作った。あの人は物のプロデューサーだった。おれの人生は、振り返ると何もやってない。70年以上生き

    夢と狂気の王国、スタジオジブリ - 関内関外日記
    kozai
    kozai 2018/08/21
  • 2012年は実在したのか? - 関内関外日記

    「時間ってなに?」 とは、小学生になるかならないかの私が、祖父の友人に質問したことである。祖父のもとをだれかが訪ねるのは珍しいことだった。「このおじいさんは何でも知ってるから、なんでも聞いてごらんなさい」。祖父は京大出の化学博士で、その友人もどこかの教授かなにかだったのではないか。 腑に落ちる答えを得た覚えはない。 大学を中退して、ニートになった。そのころ「ニート」なんて言葉はなかった。ただ、引きこもっているうちに「ひきこもり」という言葉は出てきた。家族で飯をっていて、テレビひきこもり特集などやられると気まずくなったものだ。気まずくなるだけだったが。 そんな中である「ひきこもり」が、「これはカレンダーのない生活だ」だったか、「カレンダーのない人生だ」だったか、そんなことを言った。まったくそのとおりだと思った。カレンダーは失われた。 以後、紆余曲折あって、一家も離散し、おれもひきこもって

    2012年は実在したのか? - 関内関外日記
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    kozai 2012/11/27
  • いかにして僕は心配するのをやめたか - 関内関外日記

    30で職なしの私は死ぬしかないんでしょうか - 1232445376 - したらば掲示板 世の中に心配や絶望の種は尽きないが、僕はもうすっかり心配するのも絶望するのもやめてしまったので、そのことについて書きたい。僕はといえば、だいたいずっと自分にもこの世にも失望していたし、希望をもった瞬間なんて物心ついてからひとときたりともなかったのだけれども、そんな僕でも心配をやめられたという話だ。 簡潔にいえば、死ぬことにしたのだ。 まあ、今からすぐ死ぬという話ではないのだが、かといって5年、10年というスパンでもないのだろう。ともかく、えなくなったら死ぬということだ。そうだ、これまで僕はなんども刑務所に行くような末路について考え、述べてきたのだけれども、一方で自分で死ぬことについては「そんな度胸はない」と言ってきた。せいぜい不慮の事故で死にたいというくらいしか言い切ってこなかった。自分の希死願望と

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    kozai 2011/10/29
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