他人の自殺の邪魔をする事が他人の自由への侵害であるという事は、私は未成年の頃から菊池寛の『身投げ救助業』を通じて観念的・抽象的に理解していた。 それは現在の私の自殺に対する認識の基礎になった。しかし、今にして思えば、その頃の理解は実に浅薄であった。 二十歳を少し過ぎた頃、私は自殺に関する決定的な経験をした。 私は他人の自殺を不用意に阻止してしまった。後先というものを全く考えない行動だった。 そしてそのせいで生き延びた人物は、自殺の動機を残したまま、苦しみながら生きる事になった。しかもその人は極悪人であったので、一つには生き続けるための糧を手に入れるため、二つには抱えている苦しみの腹癒せのため、周囲に多大な害悪を与え続けた。 今にして思えば、あの時の自殺こそ、その人の最後の良心の発露だったのかもしれない。 私の不用意な行動が、多くの苦しみを世界に撒き散らしてしまった。私のした事は法律では裁け