芹沢文書 @DocSeri いやまあ、突き詰めれば言葉それ自体が現実世界由来なんだから「ファンタジーに現実の◯◯を出すな」とか言い出すと読解不能な謎の言語で記述せねばならなくなるわけだが、とはいえ「どこで線を引くか」の問題ではあって 2015-10-15 09:23:01
ぼくは2045年だかにシンギュラリティが来る的なアレが嫌いで。嫌いっていうエントリをひとつ、ふたつ、以前に書いたのですけど、もっとうまくそれを言えてる記事がありましたのでご紹介させていただく。 そうなー。ぼくもそう思ったけど、あれ宗教だよな。テクノロジーの進化速度が指数関数的に増大しいつか特異点に達する。話的にはありそう。2045年とかいう時期はともかくとしていつかそうなりそう。でも、じゃあ、なにがダメなんだっけ? しかし、それではなぜ、シンギュラリティには違和感を覚えるのか? 最大の理由はそれが、技術的理論に仮装した神学的信仰、と思えるからだ。 それってどういうこと? その、おもしろくて、しかも深さもある主張によると、神の降臨は未来においてもないけれども、われわれ人間自身が必然的に神になるのだ。それは多くの人の脳と心を刺激する、中身の濃い考えだ。人間のすべての知覚や感覚に神性がある、とす
先に断っておきますが、比較的どうでもいい話です。 一般的なRPGにおいて、主人公が「話す」コマンドを使ったり、町の住民の前でAボタンを押すと、何かしらの反応が返ってきます。時には「ここは○○のむらだぜ」と親切に教えてくれたり、「ぶきやぼうぐはそうびしないといみがないぜ。」とアドバイスしてくれたり、場合によっては「ぱふぱふしない?」などと誘惑してきたりします。 およそ、RPGの主人公に最も必要な才能は、戦う力でも魔法を使う力でもなく、初めて訪れる村や町で見知らぬ人に話しかけまくるコミュ力であることは議論を俟たない所かと思うのですが、改めて分析してみても、あの能力は殆ど魔法の域です。 多くの一人称系RPG(主人公に強いキャラクター性がなく、プレイヤーが一人称視点になるRPG)において、「主人公が実際に喋る台詞」は省略されるのが常です。会話はキャッチボールなので、街の住民からの何らかの回答がある
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