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2023年4月4日のブックマーク (3件)

  • IPAのサイトリニューアルで「404エラー」多発、一体なぜ? 経緯を聞いた

    情報処理推進機構(IPA)の公式Webサイトリニューアルにおいて、多くのページにリダイレクト設定がなされず問題視されていた件を巡り、IPAは4月3日「ご不便をおかけしまして大変申し訳ありません」と謝罪した。 IPAは3月31日に公式Webサイトの全面リニューアルを実施。モバイル端末からの閲覧を意識したデザイン改修、コンテンツへの導線の改善などを図ったとしていた。その中で多くのページのURLも変更したが、リダイレクト設定がほとんどなく、既存のリンクを開いても「404 Not Found」とのみ表示されることが問題視されていた。 謝罪文によると、リニューアルに際して「安定的なレスポンスの確保を考慮し、リダイレクト対象とするコンテンツを選定した」という。しかし、多くのユーザーがIPAのコンテンツを資料として使っており、その影響について認識が不足していたのが原因の一つとしている。 なぜ「404エラ

    IPAのサイトリニューアルで「404エラー」多発、一体なぜ? 経緯を聞いた
    kuenishi
    kuenishi 2023/04/04
    IPAのコンテンツ(とそのPermalink)はコンピュータに関する国民の知的資産でも重要なものであるという自覚を持ってほしい。Permalinkの変更はそれを破壊しているといっていいと思う。修正対応してるとのことで安心しました
  • 限りある処分場(ごみ埋立ての歴史)|都の廃棄物埋立処分場について|東京都環境局

    −残り少ない埋立空間ー 東京のごみ埋立ての歴史は、江戸時代初期の明暦元年(1655年)の永代浦(現在の江東区富岡八幡宮周辺)にまでさかのぼることができます。明治時代中頃までは生ごみは肥料、紙・衣類等は再使用するリサイクルシステムがよく機能しており、ごみの処分先の問題は顕在化しませんでした。しかし、浚渫土や火災の後始末の土砂・がれきなどの処分先の確保、人口増加による土地造成の必要性は、当時すでに問題となっていました。 明治時代中頃になると、東京に人口が増加しごみ量が増えたことにより、ごみの始末が伝染病など環境衛生上の大きな問題を招きました。そのため、ごみ処理が東京市の仕事として位置づけられ、海面埋立てに加え馬込、西台などの内陸埋立ても開始されました。昭和9年の資料(注1)に「・・・コレラ埋立処分方法ワ漸次行詰マリノ状態ニナリツツアルガ故ニ焼却場建設ノ急務ナルヲ認メ・・・」という箇所があり、増

    限りある処分場(ごみ埋立ての歴史)|都の廃棄物埋立処分場について|東京都環境局
    kuenishi
    kuenishi 2023/04/04
  • 空から見た中央防波堤埋立処分場(航空写真)|写真館|東京都環境局

    廃棄物埋立処分場 <写真提供:東京都港湾局(令和4年度版)> 中央防波堤埋立処分場の埋立推移 昭和の初め、1927年(昭和2年)に8号地で廃棄物が埋め立てられました。その後、14号地、15号地、羽田沖で埋め立てられ、中央防波堤内側埋立地での埋立ては、1973年(昭和48年)に開始しました。 当時、都内ではごみ問題が深刻化し「ごみ戦争」といわれるまで事態は緊迫していました。東京都には「東京都ごみ戦争対策部」という部署までありました。 中央防波堤内側埋立地での廃棄物の埋立ては、1986年(昭和61年)に終了しました。1977年(昭和52年)からは中央防波堤外側処分場で、1998年(平成10年)からは新海面処分場で廃棄物の埋立てが始まり、現在も両処分場で埋立てを行っています。

    空から見た中央防波堤埋立処分場(航空写真)|写真館|東京都環境局
    kuenishi
    kuenishi 2023/04/04
    あと何年もつのだろう