タグ

古墳時代と歴史に関するkukurukakaraのブックマーク (10)

  • 【太田茶臼山古墳】大和から山背へ、鴨(賀茂氏)のこん跡を追う【阿武山と阿部氏】 - ものづくりとことだまの国

    現在の大阪府茨木市〜高槻市(淀川の北岸エリア)は、古代に #三島 と呼ばれ、弥生出雲の有力な都市国家のひとつがあったと伝承されます。そのこん跡を探しに #太田神社 と #太田茶臼山古墳 をぐるりと回ってきました。#阿武山 #阿部氏 目次 太田神社(大阪府茨木市太田) 太田茶臼山古墳(宮内庁治定 継体天皇 三島藍野陵) 太田茶臼山古墳の真の被葬者とは? 賀茂氏の信仰の景観(原景) 文 太田神社(大阪府茨木市太田) 太田神社と太田茶臼山古墳 (34.8438304, 135.5768731)/大阪府茨木市太田3丁目15−1/阪急京都線・茨木市駅から近鉄バス(50301系統)太田バス停下車徒歩10分。JR京都線・総持寺駅北へ徒歩20分 太田神社(おおだじんじゃ、大阪府茨木市) 御祭神は、伊勢の内宮・外宮の女神様に、スサノオノミコトの三柱。 社格は高く延喜式の式外社(案内板参照) 御祭神:天照皇

    【太田茶臼山古墳】大和から山背へ、鴨(賀茂氏)のこん跡を追う【阿武山と阿部氏】 - ものづくりとことだまの国
  • 工事中に発見された高尾山古墳の謎 東西最古級の古墳から考える“東海勢力”が存在した可能性 | 歴史人

    列島に広く王権を広げて、やがて飛鳥時代・奈良時代へと発展していく大和王権に私たちは目が行きがちですが、古墳を造り始める3世紀の東日にも注目するべき遺跡があります。 ■道路工事現場から発見された高尾山古墳が示す古代史解明の可能性 日列島に国を開いた大和王権の履歴は、『古事記・日書紀』の主役ですから、わが国の古代史を研究するとき、どうしても近畿地方から西の地域が主体になる傾向にあります。 それは致し方ないことですしその研究は道ともいえますが、四国や北陸、東海・関東から東日の研究は、それぞれの地域では進んでいても体系的全国的にはあまり勢いを感じないような気がします。 しかしながら開発が進むと、どこにでも思いもしない大発見があるのが考古学の醍醐味です。最近の調査研究で、静岡県沼津市の道路工事現場から発見された全長約62mの高尾山(たかおさん)古墳に私は注目しています。 慢性的な渋滞解

    工事中に発見された高尾山古墳の謎 東西最古級の古墳から考える“東海勢力”が存在した可能性 | 歴史人
    kukurukakara
    kukurukakara 2024/08/03
    “前方後方墳の発祥地域が、東海西部地域だと考えられている点”前方後円墳は上円下方墳と同じく道教思想由来だと思うが.前方後方墳は本当に独自っぽく感じる.
  • 【纏向】吉備と大和の繋がりを考えるツーピース【孤文】【桃太郎伝説】 - ものづくりとことだまの国

    ホケノ山古墳展(終了)の関連展示で見た #纏向石塚古墳 出土の #孤文円板(複元)。展示会場の #橿原考古学研究所付属博物館(常設)に展示されていた #特殊器台 紋様とそっくり。共通するデザインから吉備と大和(纏向)の関係を考察 #桃太郎伝説 #吉備津彦 目次 見事なデザイン。纏向石塚古墳の孤文円板 吉備と大和を繫ぐ桃太郎伝説 記紀ベースで日の古代史を考える限界 文 見事なデザイン。纏向石塚古墳の孤文円板 先日、ホケノ山古墳展(橿原考古学研究所付属博物館、終了)で展示されていた纏向石塚古墳の孤文円板(復元)の美しい造作に、思わず見とれてしまいました。 纏向石塚古墳から出土した木片から複製した孤文円板 石塚古墳は円部:方部の長さが2:1くらいの纒向型前方後円墳というカタチで、いわゆる弥生時代末期の墳墓に属します。(そういう意味で古墳とは言いません) 石塚古墳を含む纏向型墳墓群と纏向遺跡と

    【纏向】吉備と大和の繋がりを考えるツーピース【孤文】【桃太郎伝説】 - ものづくりとことだまの国
  • 【昔ばなしの作られ方】田原本町の桃太郎伝説から読み解く古代史【川を流れてくる神酒(みわ)】 - ものづくりとことだまの国

    前回 #吉備と大和 について紹介しましたが、今回は #桃太郎伝説 を少し詳しく考察。#唐古鍵遺跡 と #纏向遺跡、大和川(初瀬川)を流れてきた甕の伝説、#吉備津彦 伝承を繋いでみました 目次 弥生期ヤマトのマツリゴトの中心地 「川を流れてきた甕」の伝承 吉備津彦と倭国大乱の時代 文 【前回記事】 www.zero-position.com 弥生期ヤマトのマツリゴトの中心地 奈良盆地の中央部をふるい奈良の人は 国中(くんなか)と言います。 弥生時代の国中は、弥生期に存在した大和湖(奈良湖)の水域〜湿地帯で、現在の田原町(唐古・鍵)一帯は、稲作弥生時代の水辺(神浅茅原、かむあさじはら)でした。 唐古・鍵の復元パノラマ(唐古・鍵ミュージアム) 唐古・鍵は、紀元前200年〜西暦200年頃の、弥生時代の「稲作経済」と「マツリゴト」の中心地で、木製農工具、絵画土器のほか、神殿を含む建物跡、銅鐸工房

    【昔ばなしの作られ方】田原本町の桃太郎伝説から読み解く古代史【川を流れてくる神酒(みわ)】 - ものづくりとことだまの国
  • 河原で拾った古墳時代の遺物は実は半世紀前の木更津高校で作られたレプリカ(模造品)だったことが分かった🏞️

    酸で溶かすなとかウエメセで言われてたりもしてたけど、よくよく考えてみれば千年以上前の鉄製品が河原の水に晒されて原型を留めることなんて有り得ないと思うよね(尤も発掘した時の原型を留めたままにさせるのは間違いではないが)。 勇み足だったSNSの考古学者達も少なからずいたと思うけど、社会学のように主観の集合体みたいなものなので上高森遺蹟のように見抜けなかったってことがここでまた明るみになってしまったな…。 また100年後か200年後か先に千葉県の佐倉辺りで埴輪が見つかったと大騒ぎしたら実は国立歴史民俗博物館で売られていた土産物でしたってことにもなりゃせんよね?(それはそれで貴重かも知れんけど) 江戸時代の茶碗🍚かと思ったら平成の廃屋🏚️の茶碗でしたってオチもありそうだよね。

    河原で拾った古墳時代の遺物は実は半世紀前の木更津高校で作られたレプリカ(模造品)だったことが分かった🏞️
  • 川で見つけた鉄の塊を酸で溶かしたら簡易な装飾が出てきた、なんでしょうね? →古墳時代の貴重な品だった

    山田邦和 @fzk06736 @fuuraibooo 古墳時代の双龍文環頭大刀です。非常に重要な文化財ですので、採集地点の役所の文化財保護課に連絡して指示を受けていただくことが肝要です。酸につけたのでしたら、これから内部に腐が進む可能性があり、せっかくの文化財が毀損いたしますので、一刻も早く専門の部局にご連絡をお願いします。

    川で見つけた鉄の塊を酸で溶かしたら簡易な装飾が出てきた、なんでしょうね? →古墳時代の貴重な品だった
    kukurukakara
    kukurukakara 2024/07/01
    “古墳時代の双龍文環頭大刀です。非常に重要な文化財ですので、採集地点の役所の文化財保護課に連絡して指示を受けていただくことが肝要”
  • 奈良 斑鳩町 藤ノ木古墳で石室公開|NHK 関西のニュース

    kukurukakara
    kukurukakara 2024/05/27
    “石室の中に入り長さ2メートル30センチほどのところどころに朱色が残る大きな石のひつぎを、間近で興味深そうに見学していました”
  • 大学入って一番驚いたのは「邪馬台国論争はもう解決済みです。考古学者を名乗っている学者の9割ぐらいは近畿説です」と教わったことかも

    持明院殿(按察使) @dimyauwin 中世の朝廷とか天皇とかが好き/洛外の某大学1回生/中道右派 (自認) /男系継承支持/ウィキペディア「光厳天皇」(秀逸な記事) の主筆者/『北朝󠄁󠄁󠄁天皇を歷代天皇に戾す會』会長 (自称) /フォロバ基100 (場合による) /?垢→ @dimyauwin_sub w.wiki/542K 持明院殿(按察使) @dimyauwin 大学入って一番驚いたのは、 「邪馬台国論争はもう解決済みです。九州説の学者もいるにはいますが、ちゃんと考古学者を名乗っている学者の9割ぐらいは近畿説です」 と古墳時代の講義で教わったことかも

    大学入って一番驚いたのは「邪馬台国論争はもう解決済みです。考古学者を名乗っている学者の9割ぐらいは近畿説です」と教わったことかも
    kukurukakara
    kukurukakara 2024/05/26
    単に有力であってまだ解決済みではないはず.魏志倭人伝(三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条)の内容を考古学的物証と同定していくにはまだまだ不確かなところがある.
  • 文献と一致すると大感激! 考古史料によって解き明かされた古代日本の謎 | 歴史人

    中国の『魏志倭人伝』やわが国の『古事記・日書紀』などの記述と、考古学の発掘調査結果が一致すると、それが事実であったという信ぴょう性が一気に高まりますし感激します。これまでにどんな一致が見られたのでしょう? ■貴重な文献と考古史料の整合性で見える古代史 わが国にはほぼすべての時代の考古史料が途切れることなく存在します。ただ文献資料は途切れることがあったり、その時代の文献が無かったりしますので、稀に文献と考古史料が一致すると、大きな感激と驚きを感じます。 古代の史実を証明する考古史料は数多く存在しますが、その裏付けとなる文字史料は極めて少ないといわざるを得ません。 現代のコンビニエンスストア数の3倍はあるといわれる古墳から、墓誌が出ることはまずありません。 つまり誰の墓なのかがほとんどの場合さっぱりわからなくなっているのです。残念なことに天皇陵とされている古墳も、被葬者の学問的裏付けはほとん

    kukurukakara
    kukurukakara 2024/05/25
    “古文書の発見で天武持統合葬陵が明日香村の「野口の王墓=檜隈大内陵(ひのくまのおおうちりょう)」だと判明した”
  • 文献と一致すると大感激! 考古史料によって解き明かされた古代日本の謎(歴史人) - Yahoo!ニュース

    中国の『魏志倭人伝』やわが国の『古事記・日書紀』などの記述と、考古学の発掘調査結果が一致すると、それが事実であったという信ぴょう性が一気に高まりますし感激します。これまでにどんな一致が見られたのでしょう? ■貴重な文献と考古史料の整合性で見える古代史 わが国にはほぼすべての時代の考古史料が途切れることなく存在します。ただ文献資料は途切れることがあったり、その時代の文献が無かったりしますので、稀に文献と考古史料が一致すると、大きな感激と驚きを感じます。 古代の史実を証明する考古史料は数多く存在しますが、その裏付けとなる文字史料は極めて少ないといわざるを得ません。 現代のコンビニエンスストア数の3倍はあるといわれる古墳から、墓誌が出ることはまずありません。 つまり誰の墓なのかがほとんどの場合さっぱりわからなくなっているのです。残念なことに天皇陵とされている古墳も、被葬者の学問的裏付けはほとん

    文献と一致すると大感激! 考古史料によって解き明かされた古代日本の謎(歴史人) - Yahoo!ニュース
    kukurukakara
    kukurukakara 2024/05/25
    “明治13年に京都の高山寺で発見された『阿不幾乃山陵記(おうぎのさんりょうき)』の研究から、奈良県明日香村の野口の王墓が、「天武持統合葬陵」であることが判明し、確定”
  • 1