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歴史と古墳に関するkukurukakaraのブックマーク (17)

  • 亡き後も国を見守る【藤原鎌足公】。日本古代史における【藤原氏(中臣氏)】とは? - ものづくりとことだまの国

    阿武山古墳が #藤原鎌足 公の墓と考える理由と #多武峰略記 の記述に反して改葬されなかった理由についても考察 #偽装作戦 から自身が亡き後も国を守ろうとした人物像が浮かび上がります #藤原氏とは #記紀解読 目次 阿武山からの眺望 鎌足公が葬られるべき所。阿武山 藤原氏(中臣氏)とは? 文 www.zero-position.com 阿武山からの眺望 先日、阿武山古墳のすぐ近く、山腹の地震防災サイエンスミュージアム(旧京大地阿武山震観測所)の施設見学に参加して来ました。 阿武山地震防災サイエンスミュージアム(旧京大阿武山地震観測所) 目印となる高い観測棟は、阿武山古墳からも見えます。 阿武山古墳から見える地震観測所の観測棟 大雨の翌朝の蒸し暑い日でしたが空気が澄んで、遠く瀬戸内海の淡路島を見ることができました。 阿武山から。六甲山系、淡路島。太陽の塔(吹田市) 大阪の中心部(大阪城、難

    亡き後も国を見守る【藤原鎌足公】。日本古代史における【藤原氏(中臣氏)】とは? - ものづくりとことだまの国
  • 【三島溝咋神社(Ⅱ)】媛蹈鞴五十鈴媛とは【謎の古代史考察の分水嶺】 - ものづくりとことだまの国

    三島(大阪府茨木市)#溝咋神社 の二回目。御祭神 #媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずのひめのみこと) #銅鐸 の名を持つ #姫巫女 は神武天皇皇后としてヤマト #出雲屋敷 に住み #三輪山 を遥拝する祭祀の祭主になりました 目次 娘神・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと) 三輪山の初代祭主(姫巫女、日女巫女) 謎の日古代史考察の分水嶺 文 www.zero-position.com 娘神・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと) 媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと) 玉櫛姫(たまくしひめ、活玉依姫)の娘神。 日書紀に初代神武天皇(ヒコ)の皇后(ヒメ)となった記されている姫巫女。 古事記では比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)または富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)。 たくさんの名前でヤヤコシイですが😅 日の謎の古代史を

    【三島溝咋神社(Ⅱ)】媛蹈鞴五十鈴媛とは【謎の古代史考察の分水嶺】 - ものづくりとことだまの国
  • 【藤原氏】サクセスストーリー始まりの地【水紋様】に見る鎌足公の夢と憧憬 - ものづくりとことだまの国

    摂津国島下郡であった現在の #大阪府茨木市 には #春日神 を祀る神社が多く、その始まりは #藤原鎌足 公であり、平安時代には #摂関家 の領地でした。鎌足公の墓から出土した #水紋様の古代レンガ を考察 #中臣氏 #海人族 #阿武山古墳 目次 摂津国 島下郡 鎌足公の墓(阿武山古墳)が水紋の古代レンガで覆われていた理由 文 摂津国 島下郡 大宝律令(701年、大宝元年)で定められた摂津国島下郡(せっつのくにしましものこおり)は、現在の茨木市、摂津市、吹田市。 摂津国島下郡(せっつのくにしましものこおり) 平安時代の延喜式神名帳に、島下郡の十八座が式内社として記載されており、うち現在の茨木市には十二座が残っています。 茨木市の神社(茨木市立文化財資料館パネル) 茨木市立文化財資料館パネルの『摂関家領』とは平安時代の藤原家のことで、藤原家の氏神が春日神*1であることから、春日神社が多いと書

    【藤原氏】サクセスストーリー始まりの地【水紋様】に見る鎌足公の夢と憧憬 - ものづくりとことだまの国
    kukurukakara
    kukurukakara 2024/08/19
    摂津国島下郡(しましものこおり)・・・西成郡(にしなりのこおり).”鎌足公の墓室を覆っていた古代レンガ(塼、せん)の水紋様”なるほど.
  • 【阿武山古墳(Ⅱ)】藤原鎌足公のお墓と考えられる理由・2つ【阿武山古墳と東奈良遺跡】 - ものづくりとことだまの国

    前回の #阿武山古墳 の続き。古墳の埋葬者が #藤原鎌足 公説を強く支持するお話を二つ。埋葬者のレントゲン写真からわかる致命的な骨折痕。鎌足公を通じて繋がる #阿武山 と #東奈良遺跡 #三島別業 目次 ざっくり藤原(中臣)鎌足公 理由① 阿武山古墳人骨の致命的な骨折痕 理由② 神奈備の阿武山に埋葬される深い意味 文 www.zero-position.com ざっくり藤原(中臣)鎌足公 藤原鎌足公は、第35代皇極天皇(飛鳥)、第36代孝徳天皇(難波宮)、第37代斉明天皇(飛鳥、皇極の重祚)、第38代天智天皇(近江)の時代に活躍した人で、 ・皇極時代、中臣を称していた鎌足公は、中大兄皇子(後の天智天皇)と謀り、乙巳の変で蘇我入鹿を暗殺して政事の主導権を握り 乙巳の変/談山神社所蔵『多武峰縁起絵巻』江戸時代作 ・孝徳・斉明の二代にわたって天皇を補佐する中大兄皇子をサポート。天智期には実質N

    【阿武山古墳(Ⅱ)】藤原鎌足公のお墓と考えられる理由・2つ【阿武山古墳と東奈良遺跡】 - ものづくりとことだまの国
  • 【阿武山古墳(Ⅰ)】お盆に鎌足公の墓参り!?【貴人の大織冠と玉枕】 - ものづくりとことだまの国

    古代 #ミシマのクニ の 神奈備として崇められた #阿武山(あぶやま)。山中に飛鳥時代の #阿武山古墳。戦前、京大地震観測所建設時に発見されました。漆塗りの棺の60歳前後の貴人は金糸の冠(#大織冠?)を被り美しい#玉枕 に眠っていました #藤原鎌足 目次 阿武山 阿武山古墳(高槻市奈佐原) 文 阿武山 山稜の東西で、大阪府の高槻市と茨木市を分ける阿武山(あぶやま) スガタカタチのよい三笠型で、西側を安威川(あいがわ、茨木市)が流れ下ってきます。 安威川(あいがわ)と阿武山(あぶやま) 弥生時代の「ミシマのクニ」の神奈備山で、古い信仰の対象になっていたと伝えられます。 阿武山の中腹に塔のような建物が見えるのは京都大学の地震観測所。 【前回/東奈良遺跡と三島鴨神社はミシマのクニのミヤコと太陽の祭祀場】 www.zero-position.com 阿武山古墳(高槻市奈佐原) 34.863162

    【阿武山古墳(Ⅰ)】お盆に鎌足公の墓参り!?【貴人の大織冠と玉枕】 - ものづくりとことだまの国
  • 【太田茶臼山古墳】大和から山背へ、鴨(賀茂氏)のこん跡を追う【阿武山と阿部氏】 - ものづくりとことだまの国

    現在の大阪府茨木市〜高槻市(淀川の北岸エリア)は、古代に #三島 と呼ばれ、弥生出雲の有力な都市国家のひとつがあったと伝承されます。そのこん跡を探しに #太田神社 と #太田茶臼山古墳 をぐるりと回ってきました。#阿武山 #阿部氏 目次 太田神社(大阪府茨木市太田) 太田茶臼山古墳(宮内庁治定 継体天皇 三島藍野陵) 太田茶臼山古墳の真の被葬者とは? 賀茂氏の信仰の景観(原景) 文 太田神社(大阪府茨木市太田) 太田神社と太田茶臼山古墳 (34.8438304, 135.5768731)/大阪府茨木市太田3丁目15−1/阪急京都線・茨木市駅から近鉄バス(50301系統)太田バス停下車徒歩10分。JR京都線・総持寺駅北へ徒歩20分 太田神社(おおだじんじゃ、大阪府茨木市) 御祭神は、伊勢の内宮・外宮の女神様に、スサノオノミコトの三柱。 社格は高く延喜式の式外社(案内板参照) 御祭神:天照皇

    【太田茶臼山古墳】大和から山背へ、鴨(賀茂氏)のこん跡を追う【阿武山と阿部氏】 - ものづくりとことだまの国
  • 工事中に発見された高尾山古墳の謎 東西最古級の古墳から考える“東海勢力”が存在した可能性 | 歴史人

    列島に広く王権を広げて、やがて飛鳥時代・奈良時代へと発展していく大和王権に私たちは目が行きがちですが、古墳を造り始める3世紀の東日にも注目するべき遺跡があります。 ■道路工事現場から発見された高尾山古墳が示す古代史解明の可能性 日列島に国を開いた大和王権の履歴は、『古事記・日書紀』の主役ですから、わが国の古代史を研究するとき、どうしても近畿地方から西の地域が主体になる傾向にあります。 それは致し方ないことですしその研究は道ともいえますが、四国や北陸、東海・関東から東日の研究は、それぞれの地域では進んでいても体系的全国的にはあまり勢いを感じないような気がします。 しかしながら開発が進むと、どこにでも思いもしない大発見があるのが考古学の醍醐味です。最近の調査研究で、静岡県沼津市の道路工事現場から発見された全長約62mの高尾山(たかおさん)古墳に私は注目しています。 慢性的な渋滞解

    工事中に発見された高尾山古墳の謎 東西最古級の古墳から考える“東海勢力”が存在した可能性 | 歴史人
    kukurukakara
    kukurukakara 2024/08/03
    “前方後方墳の発祥地域が、東海西部地域だと考えられている点”前方後円墳は上円下方墳と同じく道教思想由来だと思うが.前方後方墳は本当に独自っぽく感じる.
  • 【纏向】吉備と大和の繋がりを考えるツーピース【孤文】【桃太郎伝説】 - ものづくりとことだまの国

    ホケノ山古墳展(終了)の関連展示で見た #纏向石塚古墳 出土の #孤文円板(複元)。展示会場の #橿原考古学研究所付属博物館(常設)に展示されていた #特殊器台 紋様とそっくり。共通するデザインから吉備と大和(纏向)の関係を考察 #桃太郎伝説 #吉備津彦 目次 見事なデザイン。纏向石塚古墳の孤文円板 吉備と大和を繫ぐ桃太郎伝説 記紀ベースで日の古代史を考える限界 文 見事なデザイン。纏向石塚古墳の孤文円板 先日、ホケノ山古墳展(橿原考古学研究所付属博物館、終了)で展示されていた纏向石塚古墳の孤文円板(復元)の美しい造作に、思わず見とれてしまいました。 纏向石塚古墳から出土した木片から複製した孤文円板 石塚古墳は円部:方部の長さが2:1くらいの纒向型前方後円墳というカタチで、いわゆる弥生時代末期の墳墓に属します。(そういう意味で古墳とは言いません) 石塚古墳を含む纏向型墳墓群と纏向遺跡と

    【纏向】吉備と大和の繋がりを考えるツーピース【孤文】【桃太郎伝説】 - ものづくりとことだまの国
  • 【昔ばなしの作られ方】田原本町の桃太郎伝説から読み解く古代史【川を流れてくる神酒(みわ)】 - ものづくりとことだまの国

    前回 #吉備と大和 について紹介しましたが、今回は #桃太郎伝説 を少し詳しく考察。#唐古鍵遺跡 と #纏向遺跡、大和川(初瀬川)を流れてきた甕の伝説、#吉備津彦 伝承を繋いでみました 目次 弥生期ヤマトのマツリゴトの中心地 「川を流れてきた甕」の伝承 吉備津彦と倭国大乱の時代 文 【前回記事】 www.zero-position.com 弥生期ヤマトのマツリゴトの中心地 奈良盆地の中央部をふるい奈良の人は 国中(くんなか)と言います。 弥生時代の国中は、弥生期に存在した大和湖(奈良湖)の水域〜湿地帯で、現在の田原町(唐古・鍵)一帯は、稲作弥生時代の水辺(神浅茅原、かむあさじはら)でした。 唐古・鍵の復元パノラマ(唐古・鍵ミュージアム) 唐古・鍵は、紀元前200年〜西暦200年頃の、弥生時代の「稲作経済」と「マツリゴト」の中心地で、木製農工具、絵画土器のほか、神殿を含む建物跡、銅鐸工房

    【昔ばなしの作られ方】田原本町の桃太郎伝説から読み解く古代史【川を流れてくる神酒(みわ)】 - ものづくりとことだまの国
  • 河原で拾った古墳時代の遺物は実は半世紀前の木更津高校で作られたレプリカ(模造品)だったことが分かった🏞️

    酸で溶かすなとかウエメセで言われてたりもしてたけど、よくよく考えてみれば千年以上前の鉄製品が河原の水に晒されて原型を留めることなんて有り得ないと思うよね(尤も発掘した時の原型を留めたままにさせるのは間違いではないが)。 勇み足だったSNSの考古学者達も少なからずいたと思うけど、社会学のように主観の集合体みたいなものなので上高森遺蹟のように見抜けなかったってことがここでまた明るみになってしまったな…。 また100年後か200年後か先に千葉県の佐倉辺りで埴輪が見つかったと大騒ぎしたら実は国立歴史民俗博物館で売られていた土産物でしたってことにもなりゃせんよね?(それはそれで貴重かも知れんけど) 江戸時代の茶碗🍚かと思ったら平成の廃屋🏚️の茶碗でしたってオチもありそうだよね。

    河原で拾った古墳時代の遺物は実は半世紀前の木更津高校で作られたレプリカ(模造品)だったことが分かった🏞️
  • 川で見つけた鉄の塊を酸で溶かしたら簡易な装飾が出てきた、なんでしょうね? →古墳時代の貴重な品だった

    山田邦和 @fzk06736 @fuuraibooo 古墳時代の双龍文環頭大刀です。非常に重要な文化財ですので、採集地点の役所の文化財保護課に連絡して指示を受けていただくことが肝要です。酸につけたのでしたら、これから内部に腐が進む可能性があり、せっかくの文化財が毀損いたしますので、一刻も早く専門の部局にご連絡をお願いします。

    川で見つけた鉄の塊を酸で溶かしたら簡易な装飾が出てきた、なんでしょうね? →古墳時代の貴重な品だった
    kukurukakara
    kukurukakara 2024/07/01
    “古墳時代の双龍文環頭大刀です。非常に重要な文化財ですので、採集地点の役所の文化財保護課に連絡して指示を受けていただくことが肝要”
  • 松阪市の古墳から出土の「船形埴輪」 国宝に決定後の初展示へ|NHK 三重県のニュース

  • 奈良 斑鳩町 藤ノ木古墳で石室公開|NHK 関西のニュース

    kukurukakara
    kukurukakara 2024/05/27
    “石室の中に入り長さ2メートル30センチほどのところどころに朱色が残る大きな石のひつぎを、間近で興味深そうに見学していました”
  • 大学入って一番驚いたのは「邪馬台国論争はもう解決済みです。考古学者を名乗っている学者の9割ぐらいは近畿説です」と教わったことかも

    持明院殿(按察使) @dimyauwin 中世の朝廷とか天皇とかが好き/洛外の某大学1回生/中道右派 (自認) /男系継承支持/ウィキペディア「光厳天皇」(秀逸な記事) の主筆者/『北朝󠄁󠄁󠄁天皇を歷代天皇に戾す會』会長 (自称) /フォロバ基100 (場合による) /?垢→ @dimyauwin_sub w.wiki/542K 持明院殿(按察使) @dimyauwin 大学入って一番驚いたのは、 「邪馬台国論争はもう解決済みです。九州説の学者もいるにはいますが、ちゃんと考古学者を名乗っている学者の9割ぐらいは近畿説です」 と古墳時代の講義で教わったことかも

    大学入って一番驚いたのは「邪馬台国論争はもう解決済みです。考古学者を名乗っている学者の9割ぐらいは近畿説です」と教わったことかも
    kukurukakara
    kukurukakara 2024/05/26
    単に有力であってまだ解決済みではないはず.魏志倭人伝(三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条)の内容を考古学的物証と同定していくにはまだまだ不確かなところがある.
  • 文献と一致すると大感激! 考古史料によって解き明かされた古代日本の謎 | 歴史人

    中国の『魏志倭人伝』やわが国の『古事記・日書紀』などの記述と、考古学の発掘調査結果が一致すると、それが事実であったという信ぴょう性が一気に高まりますし感激します。これまでにどんな一致が見られたのでしょう? ■貴重な文献と考古史料の整合性で見える古代史 わが国にはほぼすべての時代の考古史料が途切れることなく存在します。ただ文献資料は途切れることがあったり、その時代の文献が無かったりしますので、稀に文献と考古史料が一致すると、大きな感激と驚きを感じます。 古代の史実を証明する考古史料は数多く存在しますが、その裏付けとなる文字史料は極めて少ないといわざるを得ません。 現代のコンビニエンスストア数の3倍はあるといわれる古墳から、墓誌が出ることはまずありません。 つまり誰の墓なのかがほとんどの場合さっぱりわからなくなっているのです。残念なことに天皇陵とされている古墳も、被葬者の学問的裏付けはほとん

    kukurukakara
    kukurukakara 2024/05/25
    “古文書の発見で天武持統合葬陵が明日香村の「野口の王墓=檜隈大内陵(ひのくまのおおうちりょう)」だと判明した”
  • 文献と一致すると大感激! 考古史料によって解き明かされた古代日本の謎(歴史人) - Yahoo!ニュース

    中国の『魏志倭人伝』やわが国の『古事記・日書紀』などの記述と、考古学の発掘調査結果が一致すると、それが事実であったという信ぴょう性が一気に高まりますし感激します。これまでにどんな一致が見られたのでしょう? ■貴重な文献と考古史料の整合性で見える古代史 わが国にはほぼすべての時代の考古史料が途切れることなく存在します。ただ文献資料は途切れることがあったり、その時代の文献が無かったりしますので、稀に文献と考古史料が一致すると、大きな感激と驚きを感じます。 古代の史実を証明する考古史料は数多く存在しますが、その裏付けとなる文字史料は極めて少ないといわざるを得ません。 現代のコンビニエンスストア数の3倍はあるといわれる古墳から、墓誌が出ることはまずありません。 つまり誰の墓なのかがほとんどの場合さっぱりわからなくなっているのです。残念なことに天皇陵とされている古墳も、被葬者の学問的裏付けはほとん

    文献と一致すると大感激! 考古史料によって解き明かされた古代日本の謎(歴史人) - Yahoo!ニュース
    kukurukakara
    kukurukakara 2024/05/25
    “明治13年に京都の高山寺で発見された『阿不幾乃山陵記(おうぎのさんりょうき)』の研究から、奈良県明日香村の野口の王墓が、「天武持統合葬陵」であることが判明し、確定”
  • 長大な蛇行剣など展示へ 奈良市の新文化財センター構想|NHK 奈良県のニュース

    奈良市は、富雄丸山古墳で見つかった長大な蛇行剣などを、保管・展示する機能を備えた新しい文化財センターの基構想をこのほどまとめました。 それによりますと、新しく建設される奈良市の文化財センターは、富雄丸山古墳や現在建設中の道の駅の周辺での建設を想定していて、広さは延べ床面積で6000平方メートル以上と、現在ある施設の2倍ほどになる計画です。 市内で見つかった文化財の調査や研究にあたる設備のほか、これまで手狭だった資料の保管や展示施設も充実させるということで、富雄丸山古墳から見つかった▼蛇行剣と呼ばれる波打った形が特徴の 古代の東アジアで最も長いとされる鉄の剣や▼これまでで発見例がない 盾の形をした青銅製の鏡などを、展示するコーナーも設けることにしています。 また資料を保管する収蔵庫は、壁の一部を透明な構造にし、来館者が中を見られるようにするということです。 新しい文化財センターは、早ければ

    長大な蛇行剣など展示へ 奈良市の新文化財センター構想|NHK 奈良県のニュース
    kukurukakara
    kukurukakara 2024/05/21
    富雄丸山古墳から見つかった青銅鏡,蛇行剣を展示する新文化財センター.橿考研がらみかと思ったら奈良市と書いてあった.
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