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blogとtechnologyに関するkukurukakaraのブックマーク (3)

  • 我求む故に我あり : 404 Blog Not Found

    2007年02月04日10:00 カテゴリLogos 我求む故に我あり この設問に答えるために、「意識とは何か」を定義しなければならないということに気がつく人は多いのだけど、もう一つ必要な定義に思い至る人は少ない。 極東ブログ: 機械は意識を持つか。コンピューターは意識を持つか。インターネットは意識を持つか。 結論を先に書くと、機械は意識を持つか。イエス。コンピューターは意識を持つか。イエス。インターネットは意識を持つか。イエス。 「意識とは誰のものか」、という定義である。 「AはBを持つ」という設問で、Bの曖昧さに目が眩んでAが実は曖昧であることを忘れてしまうのだ。 「私は意識を持つ」の「私」って何だ? これは「意識って何?」と同じぐらい難しいのだけど、実は分けて考えるから難しい。設問をこうしてしまえば、「意識」と「私」は一つにまとまる。 「今この文章を意識している存在、それが私」、だと

    我求む故に我あり : 404 Blog Not Found
    kukurukakara
    kukurukakara 2007/02/04
     「欲求」を意識の母体とし、機械には「欲求」がないとする。「私」の現象的意識に映る「他」の「欲求」を通し、「他」の「意識」の有無をみる。この考えに沿うと生物全てに意識があると見なせる。
  • バナナ型の衛星打ち上げプロジェクト『Geostationary Banana』 | 100SHIKI

    バナナ型の衛星打ち上げプロジェクト『Geostationary Banana』 January 28th, 2007 Posted in 未分類 Write comment できない目標があったら、ぐっと目標を下げてみるのも手だ。「お、それならできるかもじゃん!」と行動のためのパワーが湧いてくるからだ。 というわけでミーティングではよく「いや、つまんないアイディアでいいから言ってみそ」みたいなことはよく試す。いきなり「すばらしいビジネスモデルを発表せよ」と言ったところで何が出てくるわけでもない。出てくるようならミーティングの場にいるはずもない。 そして、くだらないにもほどがある、というものほど何かの議論のスタートになったりする。 そんなことをこのサイトを見ていて思った。 Geostatonary Banana Over Texasではあるアートプロジェクトを推進中だ。このプロジェクト、なん

    バナナ型の衛星打ち上げプロジェクト『Geostationary Banana』 | 100SHIKI
    kukurukakara
    kukurukakara 2007/01/29
    ホームページを見ると宇宙空間近くまで飛んだ作品を列挙しているようで、本当にやりたいつもりのよう。ただ、本当に意味はないようだ。
  • グーグルが無敵ではないことはエンジニアだけが知っている:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan

    ウェブ人間論 梅田 望夫 / 平野 啓一郎 梅田望夫と平野啓一郎の対談集である「ウェブ人間論」を読了した。基的な感想は、この書籍の元になった新潮に対談が掲載されたときに「新潮6月号の梅田望夫×平野啓一郎の対談を読んで」にもすでに書いたし、ここやここでは平野啓一郎人が登場するというハプニングがあったことも記憶に新しいところだ。その後に平野はほんとうに公式ブログを開設したりもした。これら一連のできごとは、とても楽しいものだった。 だけど、いやだからこそ、この件を引っ張る形でこれ以上書評を続けると知人友人ばかり持ち上げる内輪やらせブロガー的なダークサイドに堕ちてしまう気がするので、この機会に大きく踏み外してみようと思う。 ぼくが今の今まで注意深く避けてきた、グーグル技術論について、この機会にとうとう語ってしまおうと思う。 ■「過去7年におけるグーグル成功の最大の要素は『運』だった」(Se

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