タグ

ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (3)

  • 現実の女性に「おにゃのこ」と言った際のリスク - シロクマの屑籠

    某所で「おにゃのこ」という単語についての論議を見かけた。 オタク系由来の単語だが、最近ではネットスラングとしてある程度は使われているようにみえる。 元来、「おにゃのこ」という単語は(二次元)美少女キャラクターを愛でる際に用いられる、僅かに照れ隠しを含んだ単語だった*1と記憶している。だがこの「おにゃのこ」という単語は、ときどき現実の女性に使われることもあるようだ。僕がみてまわった範囲でも、オタク男性が女性に対して「おにゃのこ」という単語を用いている状況を、オフ会などで少なくとも数回程度はみたことがある。 この「おにゃのこ」という単語、(二次元)美少女キャラクターに対して使われる限りではそれほど問題は無いようなんだけど、現実の女性に対して使われると、女性の側としてはあまり良い気分がしないようである。ためしに、うちの嫁様に聴いてみた*2。 俺「女性に対して男性が“おにゃのこ”って言葉を使ってい

    現実の女性に「おにゃのこ」と言った際のリスク - シロクマの屑籠
  • 日本人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では? - シ口クマの屑籠(汎適所属)

    「最近日から寛容さが失われている」のは何故か - Togetterまとめ 新幹線の車内ではしゃいでいる子どもや、夜遅くまで騒いでいる大学生に対し、私達はどれだけ寛容な気持ちを保っていられるだろうか?次世代を担う子ども達の、年齢相応の振る舞いに対してさえも、寛容よりも非難が勝る人が増えているのではないだろうか? 寛容さとは正反対の、きわめて自己中心的な人達もよく見かけるようになった。自分の意に沿わない相手に攻撃的な人間や、他人に際限なく要求する人間が、モンスター○○などと呼ばれて問題視される時代でもある。*1 これらを踏まえて「昔の日人が寛容」で「現代の日人は寛容じゃなくなった」と結論づける人は多そうだ。少なくとも、見かけ上、日から寛容さが失われたように見えるのはその通りかもしれない。 「身内」には寛容でも「他所者」にはそうでもなかった日人 では昔の日人は、当に寛容だったのか?

    日本人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では? - シ口クマの屑籠(汎適所属)
  • 全能感を維持するために「なにもしない」人達 - シロクマの屑籠

    ここ最近、「価値のあるボク」「価値のあるアタシ」といった肥大した自己イメージを、いつまでたっても抱えている男女がそこらじゅうに溢れています。つまり、全能感を捨てきれない大人達が増えているわけですが、彼らが全能感を維持するメカニズムについては、あまり取り沙汰されていないようです。 この文章では、全能感を維持したい・いつまでも子どもの王様のままでいたい人にありがちな、二つの処世術を確認してみます。 1.自分が得意な分野で、全能感を何度も確認する ひとつめは、ごくオーソドックスな方法。 自分の優秀さや自分のバリューを確認しやすい場所で、それを反復的に確かめる、という方法です。ここに書いたように異性をひっかけて自分の価値を確認する人もいれば、ネットゲームtwitterで優秀さや有能さを確かめたがるタイプの人もいます。この際どこでもいいから、とにかく自分が優秀でいられそうなフィールドをみつけ、自分

    全能感を維持するために「なにもしない」人達 - シロクマの屑籠
  • 1