東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の「高田松原」の松で作った薪(まき)を「京都五山送り火」(16日)で燃やす計画が中止になったことに対し、8日朝から、京都市の大文字保存会の事務局を務める市文化財保護課に非難が殺到した。 「期待していた被災者の気持ちをくむべきではないか」などの意見で、8日午後1時現在、約40件に上っている。 保存会は、被災者らに犠牲者の名前や復興への願いを書き込んでもらった薪の奉納を計画し、400本が集まった。しかし、放射性セシウムに汚染された稲わらを食べた牛の肉が流通した問題などで心配が広がり、検査を実施。放射性セシウムは検出されなかったが、現地の関係者と協議して中止を決定した。これに対し、市民らから「根拠のない理由で中止するのは差別ではないか」「風評被害を助長する」などの電話があった。
福島第1原発対処をめぐって、陸上自衛隊隊員の間では、ちょっとしたモメ事が起きた。 「ダメです班長!」 通常、消防車は3人で乗り込むが、いざ突っ込むことになったとき、被曝量を最小限にするために2人で突入することになったのだ。 「オレが行く」という班長に、あとの若い2人が語気を強めて言った。 「独身者の自分たちが行きます。何かあったら奥さんに合わせる顔がありません!」 新婚の班長に対し、初めて意見具申した。 「独身は将来があるんだから行くな」 そう家族持ちが言えば、「家族持ちこそ、守るべき人がいるんだから行っちゃいけない」と反論する。そんなやり取りが繰り返された。 そのうちに、「もう希望をとるのはやめてください。『行け』と言ってください」と多くの隊員が言い出した。 海上自衛隊では「年寄りが行こう。若い連中は未来がある」と、40歳過ぎが集合した。 実は、1991年の4月、海自の掃海部隊がペルシャ
昨年暮れ、私は最中(モナカ)に夢中であった。 ニッポンのめずらしい土産物を探していて、 観光地の定番かつ、かなり地味な「モナカ」に 注目したのには理由がある。 この大熊町銘菓「原子力最中」を 偶然発見してしまったからだ。 福島県双葉郡大熊町 いま世界を揺るがしている 福島第一原子力発電所のある町だ―。 2010年12月、私は大熊町に 原子力最中を買いに行った。 まず大野駅へ。 夜だったからだと思うけど、駅は非常に静かだった。 駅のお土産ショーウィンドウには、 大熊銘菓「原子力最中」が飾られていた。 そして、川柳よりも、 落書きが盛んな、いたって普通の町だった。 たしか18時か19時頃だったと思うが 駅前はけっこう暗くて散策できなかったので、 目的の原子力最中を販売している 佐藤菓子店に向かった。 営業時間を確認するためにお店に電話すると、 孫が帰ってきて
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