2015年01月26日00:27 カテゴリ本 イスラムは寛容になれるのか 今回のイスラム国の事件をみていて、Economistの記事を思い出した。筆者はパリの事件にコメントしているのだが、論点は今回の事件と同じく、イスラムが寛容を知らないという問題である。 普通は「改革者」だと思われているルターは、この点ではカトリック教会より強硬に神の意志を絶対化し、彼を批判する者を迫害した。これに対して、かつてルターとともにカトリック教会と闘ったエラスムスは、彼の不寛容を批判し、『自由意志論』を書いた。ホイジンガは、その主張をこう紹介している:自由意志を承認しなければ、神の正義、神の慈悲という言葉は意味がなくなる。もし一切が単なる不可避の必然性によって起こるものなら、聖書の教訓、非難、勧告はどんな意味があるというのか。これに対してルターは『奴隷意志論』を書き、エラスムスを嘲笑した。彼はその百姓的な情熱で