2015年1月2日のブックマーク (5件)

  • 偏狭な利他主義と寛容な利己主義 : 池田信夫 blog

    2012年02月13日14:25 カテゴリテクニカル 偏狭な利他主義と寛容な利己主義 『宗教を生みだす能』についての記事は、かなりテクニカルな話だが反響が大きかった。ただ、こうした社会生物学的な説明は、社会性昆虫の行動を説明するにはいいが、人間の複雑な行動を説明するには無理がある。書は、こうした遺伝的な利他性と文化的な集団主義の関係を実験経済学や数値シミュレーションで分析したものだ。 協力を説明する経済学の理論としては、おなじみのフォーク定理があるが、これには欠陥がある。ナッシュ均衡が成立するためには、全員が全員の利得関数を知っている必要があり、しかも一人でも裏切り者がいると、全員が裏切ることが(長期的関係があっても)サブゲーム完全均衡になってしまうのだ。理論的には、フォーク定理は「協力は非現実的な条件のもとでしか成立しない」というnegative resultである。 しかし現実の

    偏狭な利他主義と寛容な利己主義 : 池田信夫 blog
    kuro_66
    kuro_66 2015/01/02
    "単純な利他主義は利己主義に食い物にされるので進化的安定戦略(ESS)にはなりえないが、集団間の競争が激しいときは、他の集団には敵対し同じ集団の中では協力的に行動する偏狭な利他主義がESSになりうる。"
  • マルクスとソーシャルメディア : 池田信夫 blog

    2011年01月30日21:49 カテゴリIT経済 マルクスとソーシャルメディア 先週のUstream中継でも議論したことだが、今のマスコミが広い意味でのソーシャルメディアに支配的な地位を譲ることは、遅かれ早かれ避けられない。しかし問題は、それによって今より大きなメディア産業ができるのかということだ。私はたぶんできないと思う。 その理由は、従来のメディアはそのインフラ独占によって高い利潤を上げてきたが、ウェブは非常に競争的なので、高い価格が設定できないからだ。たとえば、かつてNTTの電話の売り上げは年間6兆円だったが、今は2000社以上のISPを合計しても8000億円ぐらいだ。しかしそこを流通する情報の量は何万倍にもなり、ウェブを利用する情報サービス全体の付加価値は数十兆円にのぼる。このような知識の外部性は成長理論で全要素生産性として知られているが、逆説的なのは資主義のエンジンが市場を通

    マルクスとソーシャルメディア : 池田信夫 blog
    kuro_66
    kuro_66 2015/01/02
    "固定資本の発展は、社会的知識がどれほど生産の直接的な手段になり、社会的な生活の条件がどれほど一般的知性によってコントロールされて生産に適応しているかを示している。"
  • 自由主義と個人主義の間 : 池田信夫 blog

    2011年07月01日10:34 カテゴリ 自由主義と個人主義の間 昨今の混乱をきわめた政治を見ていると、日人には合理的な意思決定は無理なのかなと思ってしまう。これは丸山眞男を初めとして近代の知識人が、くり返し問い続けたテーマである。従来の丸山論では、日の特殊性を分析する彼の問題意識に賛同する者と、彼が理想化した(実在しない)西洋とひとリ芝居をしていたたけじゃないのという吉隆明などの批判がある。 書は、その西洋的理念に二つの要素があったことを指摘する。それは現代でいえば、フリードマンやハイエクのような明るい自由主義と、テイラーやグレイの批判する暗い個人主義の違いともいえようか。前者は論理によって学ぶことのできる普遍的真理で、日人であっても一定の知性があれば身につけることができるが、後者は特殊キリスト教的な情念で、勉強で身につけることはできない。 西洋人は意識していないが、彼らの

    自由主義と個人主義の間 : 池田信夫 blog
    kuro_66
    kuro_66 2015/01/02
    "自然的・直接的な人間関係の絆を断たずには、経験を超えた絶対者への帰依は生まれない…「天は人の上に人を造らず…」…この点にある。目に見えない権威への畏敬を知らないものは…目に見える権威に屈服する"
  • 丸山眞男と廣松渉 : 池田信夫 blog

    2014年12月20日14:27 カテゴリ 丸山眞男と廣松渉 きのうの読書塾で出た話の補足(非常にマニアック)。丸山眞男は初期には、当時の多くの学生と同じくマルクスの圧倒的な影響を受けたが、マルクス主義者にはならなかった。書に収録されている「思想史の方法を模索して」は、その理由を語る貴重な論文である。 旧制高校時代の丸山の原点はマルクスではなく、ヴィンデルバントやリッケルトなどの新カント派だった。彼の恩師である南原繁も新カント派だったので、そういう立場からみると「模写説を主張するマルクス主義哲学」は、認識論としては幼稚で話にならない。彼はこの点でマルクス主義にどうしてもついていけず、方法論を模索した結果たどりついたのがマンハイムだったという。 これを読んで、彼の思想は廣松渉と意外に似ていることに気づいた。廣松は丸山を(私の知る限り)一度も参照していないし、その逆もないが、廣松のゼミも最

    丸山眞男と廣松渉 : 池田信夫 blog
    kuro_66
    kuro_66 2015/01/02
    "価値判断が主観的なものだとすれば、価値は個人の好みの問題になる…たとえば日本では虹は7色だが、ホピ・インディアンには2色に見える。これは社会的に形成される共同主観性であり、個人の主観には還元できない。"
  • 日本は「ワイマール化」するか : 池田信夫 blog

    2013年10月13日17:08 カテゴリは「ワイマール化」するか いま霞ヶ関や日橋では、書がよく読まれているという。初版は1963年だが、ヒトラーの出てくる前からずっとワイマール共和国の生い立ちを追いかけた日語のは少ない。ワイマール憲法を美化して「ナチスが理想の憲法を破壊した」という類の話が多い中で、著者(林健太郎)は冷静に憲法の欠陥を分析している。 第一の欠陥は、ワイマール憲法が1918年のドイツ革命によって生まれた右派(帝政派)と左派(社民)の妥協の産物だったことである。その制定の中心になって初期の政権をになったのは、「ワイマール連合」と呼ばれた社民党・中央党・民主党の三党だった。中でも最大勢力は社民党だったが、社会主義に重点を置く左派は独立社民党として分派を形成し、民主主義に重点を置く右派との対立が続いた。 ワイマール憲法は帝政を廃止して共和制にし、主権在民の原則の

    日本は「ワイマール化」するか : 池田信夫 blog
    kuro_66
    kuro_66 2015/01/02
    "ワイマール体制の根本的な弱点は「ドイツ国民が帝政に慣れて、みずから国家を運営する意識に欠けていた」"