家具屋の家庭に生まれる[2]。本来は小説家志望で、早稲田大学教育学部卒業後に女子美術大学付属高等学校で1年間教鞭を執りつつ小説を書いたが、作家の道を断念し、1972年、ポプラ社に中途入社。 初めは倉庫に配属され、砂埃の舞う劣悪な環境に憤りを感じて「オレが社長になって、この会社を変えてやる」と宣言[2]。1974年、「同族会社の悲劇」と題する意見書を経営陣に提出し、同族経営だったポプラ社の体質を批判したために当時の社長から解雇されそうになった[2]。また、労働組合のない同社で「社員の会」を結成し、労使交渉に乗り出して「代表取締役ヒラ社員」と呼ばれた[2]。 編集者としては那須正幹の『ズッコケ三人組』シリーズを第1作『それいけズッコケ三人組』(1978年)から全作手がけた他、原ゆたかの人気シリーズ『かいけつゾロリ』をも担当。1983年には発注先の印刷会社の再編に乗り出し、その年度で9200万円