2009年5月21日のブックマーク (6件)

  • 長居テント村:大阪市の強制撤去から2年余、芝居再び 「大輪まつり」で上演 /大阪 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇「人のつながり問い直す」 抵抗した若者や“住民”12人が練習重ね ◇23・24日、公園の「大輪まつり」で上演 大阪市東住吉区の長居公園で野宿者のテント村が市に強制撤去されて2年余り。撤去の際、最後までテント村中央の仮設舞台で芝居を続け抵抗した若者やテント生活をしていた人たちが、同公園で23、24日に開催される「第6回大輪まつり」で、再び芝居を上演する。 まつりに向けて練習を重ねているのは、現在、東京の劇団で役者や脚担当として活動する太田直里(なおり)さん(29)ら、撤去の以前からテント村との交流があった若者やテント村で暮らしていた20~60代の12人。 太田さんは04年ごろから、連日のようにテント村に通っていた。芝居の練習をしたり、テント村の人たちと話をしたり、炊き出しをべさせてもらったり……。「テント村は、行けば誰かが迎えてくれる場所だった」と当時を振り返る。 大輪まつりは、地域住

  • 『神を待ちのぞむ』 - Arisanのノート

    神を待ちのぞむ 作者: シモーヌヴェーユ,Simone Weil,渡辺秀出版社/メーカー: 春秋社発売日: 2009/02/01メディア: 単行 クリック: 3回この商品を含むブログ (11件) を見る 読み終えて思うことのひとつは、ヴェーユが「負債のエコノミー」とか「負債のイデオロギー」と呼べそうなものの外に立とうとしている、ということである*1。 このことは、「「主の祈り」について」という文の中に出てくる。 「われらが人にゆるしたるごとく、われらの負目をゆるしたまえ」という祈りの言葉を注釈して語られる部分である。 ここでとても大事だと思うのは、他人(神)に負債(債権)の放棄を求めるには、それに先立って自分自身が負債を放棄していなければならない、という考えである。 この言葉を言うときには、すでにすべての負い目をゆるしていなければならない。(p212) これが、ヴェーユの言う「自己放棄」

    『神を待ちのぞむ』 - Arisanのノート
    kuronekobousyu
    kuronekobousyu 2009/05/21
    <生まれてきたこの世界に対して債権を持っているという根深い感覚を、私自身が克服することによってのみ、「負債のエコノミー」の外での関係、社会性(ヴェーユの言う「正義」)が可能となる。>
  • ヴェーユと「イスラエル」 - Arisanのノート

    神を待ちのぞむ 作者: シモーヌヴェーユ,Simone Weil,渡辺秀出版社/メーカー: 春秋社発売日: 2009/02/01メディア: 単行 クリック: 3回この商品を含むブログ (11件) を見る この全体のなかでいうと、とくに大きな論点というわけではないが、前から気になってることなのでメモしておく。 『重力と恩寵』を読んだときから気になっていたのは、ヴェーユが「イスラエル」と呼ぶものに対する、彼女の敵意の激しさである。 それが何のことなのかは、後で書くと思うが、あのを読んだときには、それはキリスト教の神父であるあのの編集者ティボンが、ユダヤ人であるヴェーユの非ユダヤ教的な面を強調するために、そういう箇所を抜き出したのだろうぐらいに思ってたが、そういうことではないようだ。 この件について、『神を待ちのぞむ』の「序文」のなかで、やはりカトリックの神父であるぺランという人は、次の

    ヴェーユと「イスラエル」 - Arisanのノート
  • 「ニートはジャズ」第二段 - 猿虎日記

    こちらの記事http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20090216/1234772278から生まれた「ニートはジャズ」ライブ、4月4日(土)19:30〜浅草ZINCで好評のうちに終了しましたが(こちらに記録がありますhttp://hatesa.g.hatena.ne.jp/sarutora/20090406/1239037315)第二段を行うこととなりました。こんどはドラムも入れて、新曲もやります。 6月28日(日) 永野潤(P)、永谷智基(B)、やねごん(Gt)、三枝数也(Dr) 1st: 19:30-20:15, 2nd: 20:45-21:30 Charge 1,500円 浅草 Bar & Music Live ZINChttp://gamma-music.net/zinc/ 台東区雷門2−17−13雷門ウスイビル8F(銀座線・浅草線「浅草駅」徒歩1分(雷門の

    「ニートはジャズ」第二段 - 猿虎日記
    kuronekobousyu
    kuronekobousyu 2009/05/21
    行きたい、でも行けない。
  • サルトルさ - 猿虎日記

    サルトルさ サルトルを使った最も短い回文 さるとるとるさ/サルトル取るさ え?そんな時代遅れの、主体主義の、歴史主義の、ヨーロッパ中心主義の、ヒューマニズムの、ヘーゲル主義の、ハイデガーを致命的に誤解したような、レヴィ=ストロースにフルボッコにされたような、二流の哲学*1なんか、いまどき取らない? さるとるさるとるさ/サルトル、猿取るさ 「猿取佐助」っていう清水義範の小説の傑作があります。サルトル入門にも最適です。 さるとるさるとるさ/サルトル、サルトルさ 所詮サルトルはサルトル?でも「サルトルはサルトルであらぬものであり、サルトルはサルトルであるものであらぬ」とサルトルは言ってます。 さるとるしるとるさ/サルトル、汁取るさ 旅館の朝は和バイキングです。 さるとるたるとるさ/サルトル、樽取るさ とりあえず樽に乗るのは確かです。 さるとるつるとるさ/サルトル、鶴取るさ 猿を取って、鶴を取

    サルトルさ - 猿虎日記
    kuronekobousyu
    kuronekobousyu 2009/05/21
    「サルトル左派」って、いいかも? ところで大江健三郎は今でもサルトリアンでしょうか?
  • 忌野清志郎と「公共性」に関する試論 - 梶ピエールのブログ

    批評家の吉隆明は、1980年代から忌野清志郎をしなやかな感性を持ったアーチストとして高く評価をしていたが、1988年に発売されたRCサクセションの反原発ソング「サマータイム・ブルース」(アルバム『COVERS』に収録)の歌詞を、個人発行していた雑誌『試行』誌上で紹介し、「聞きしにまさるハレンチな歌詞」であるとして厳しく批判した。 ここで、吉の反原発批判の是非はひとまず置いておき、なぜ、吉隆明は忌野の反原発ソングをこき下ろしたのか、を考えてみたい。このことにこだわることは、むしろ忌野の偉大さ、およびそのパフォーマンスが持つ意味を、改めて浮き彫りにすることになるはずだからである。 まず最初に、社会学などでよく使われるらしい、「生活世界」と「システム」という二分法が便利なので、これを援用して論じてみよう。 忌野清志郎は、初期のころから一方で「システムの介在なしに魂が直接触れあえる世界」を高

    忌野清志郎と「公共性」に関する試論 - 梶ピエールのブログ
    kuronekobousyu
    kuronekobousyu 2009/05/21
    「公共性」と吉本「転向論」を絡ませたのは、面白い!