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増田と言語に関するkutakutatriangleのブックマーク (2)

  • 京大の博論を元にした本が東大紀要の書評でフルボッコされてる件

    の大学、特に文系の学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系の学者達は自分たちの存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系の研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系の先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。 だが、それは当か? 証拠はあるのか? 最先端の研究は専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン。一般・特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系の研究も基的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じ

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  • 行き過ぎた英才教育

    母は、海外に住んだりいろいろしていたバリバリの英語教師。 「私の子供は絶対世界に通用する子に育てるのよ!」と当初から息巻いていたらしく、 第一子だった私に、母は普段から英語で話しかけたりしていた。 私も、どんどん母の教えた単語を覚えて行ったらしく、母はかなり鼻高々だったらしい。 そんな母の自慢の私は小学生に上がった頃、大きな壁にぶち当たった。 それは「カ タ カ ナ」…というか、外来語。 結局うちの母の発音が良すぎて、正しい外来語が身につかなかった。 ハンバーガー→ハンバガー ケーキ→ケィク ライオン→ライアン 等々 だと思ってたので、まあ、カタカナでひっかかるひっかかる… 幼心に「英語が喋れても、普段喋ってる言葉(日語)ができないとだめなんだ!」って すごく強く思ったのを良く覚えている。 どうやって克服したのかはあんまり覚えてないけど、多分学年が上がるごとに普通に色々分かっていったんだ

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