タグ

ブックマーク / agora-web.jp (23)

  • ネット生保立ち上げ秘話(5)看板娘と会社設立 - 岩瀬大輔

    看板娘 「とにかく明るくて、声が大きい子なんだよ」 ライフネットの第一号社員であり、しばらくは看板娘となる高尾美和のことを、出口はこのように繰り返し、評していた。 日生命時代に出口の部下だった彼女は、学者であるご主人がフロリダに研究留学されるのを契機に同社を退職し、一年ばかり米国に住んでいたが、夏明けに帰国するとのことだった。 とにかく一度遊びにおいで、との出口の誘いに応じて僕らのオフィスを訪れた高尾にその話をすると、TシャツにGパン姿で現れたちょっと年上のお姉さんは、チャーミングな八重歯を見せて笑いながら、こう答えた。 「ハハハ。高校時代の友人には、『美和が笑ってる声は、違うフロアにいても聞こえてくる』と言われたことはありますよ」 確かに、地声は大きかった。準備会社の設立を控えた2006年9月、初めての仲間が加わった。 「出口さんと仕事をしたのは、最後の二年だけだけど。出口さんは公務部

    ネット生保立ち上げ秘話(5)看板娘と会社設立 - 岩瀬大輔
    kuuka2h
    kuuka2h 2014/02/04
  • ネット生保立ち上げ秘話(3) 童顔の投資家 - 岩瀬大輔 

    童顔の投資投資委員会から半年前に遡る、2006年1月7日の夕方。溜池山王の交差点にある、古いオフィスビルの一室。ガランとした会議室の中に、夕日がさしかかっている。 待ち合わせの時間から、四十分が過ぎていた。そろそろ、帰ろうかな。そう思い始めたとき、その投資家は、ドタバタと駆け込んできた。 「いやぁー、ごめんなさい、当にすみません。前の打ち合わせからどうしても抜けられなくて。はじめまして、谷家です。あれ?名刺がない。あれ、あれ?」 「いかにも」という感じの外資系金融マンが悠然と入ってくる姿をイメージしていた僕は、すっかり拍子抜けした。身長は160センチ程度の、小柄な体型。黒いリュックを肩にかけ、スーツは少し大きくてサイズが合っていないように見えた。少し伸びすぎた黒い髪も、寝癖が残っている。あえて金融マンっぽいところがあれば、手に新聞を握りしめ、株価のページが開かれていたことか。 「はじ

    ネット生保立ち上げ秘話(3) 童顔の投資家 - 岩瀬大輔 
    kuuka2h
    kuuka2h 2014/02/04
  • ネット生保立ち上げ秘話(2) 投資委員会 - 岩瀬大輔

    居候生活はじまる ときは、2006年7月4日。場所は、溜池山王の交差点近くのランディック第三赤坂ビル。 1階ではマクドナルドが24時間眠ることなく、小腹を空かせた企業戦士たちに、ハンバーガーとフライとコーラと、つかの間の安らぎを提供している。このビルの8階にある投資ファンド『あすかDBJパートナーズ』のオフィスにて、僕らの挑戦は始まった。わずか6席の小さなオフィスに、3社が同居していた。我々は、居候(いそうろう)である。 このときはまだ、「ネットライフ企画」の原型は何もなかった。あったのは、机とパソコンと電話とファックス。中古のコピー機。あとは、社長の出口の頭の中にある事業計画だけだった。 (ライフネット社長・出口治明との出会いについては「第一回 プロローグ」をご参照) プロジェクトの相棒である社長の出口は、1948年生まれの58歳(当時)。後に知ることになるのだが、大手生保出身で、かつ

    ネット生保立ち上げ秘話(2) 投資委員会 - 岩瀬大輔
    kuuka2h
    kuuka2h 2014/02/04