創立者J.C.ヘボン像 ジェームス・カーティス・ヘボンが横浜で開いた「ヘボン塾」を起源とする、日本最古のキリスト教主義学校(ミッションスクール)である[要出典]。1949年に新制大学として発足し、現在では6学部15学科、7研究科を擁する純文系の大学となった(2024年(令和6年)4月 - 初の理系学部「情報数理学部」を新設)。 1886年(明治19年)の東京一致神学校、東京一致英和学校、英和予備校の合同時に新校名として「一致学院」「共同学院」「明治共立学院」の3案が示され[1]、同年6月21日の理事会で議論を重ねた結果、植村正久が提案した明治学院を採用することに決定した[2][3]。 「明治学院」の意味するところは「明けき政治の時代の学問の学校、即ち明けき政治の学校」[4]であり、後年編纂された『明治学院九十年史』は「明治の時代における学問の殿堂の意で『明治学院』はまさに明治文化の中に輝く