今年は4年ぶりの神田祭開催だったわけなんだけど、CUE氏および神田明神の氏子である親族様ご好意により、神田祭(神輿宮入の日)における当事者スタンスといった辺りを覗かせてもらえることになった。 先ずは、いつもの様にマクラっつーことでそこら辺りの歴史をサクッとと考えたんだけど、まぁそこらは公式なもんが幾らでもあるわな。ということで、神田祭が天下祭となるまでの流れを、やや斜めった角度から眺めていくことにしよう。 家康が秀吉に恭順の意を示そうと薦められるままに関東に入府したものの、江戸城周辺の余りの鄙っぷりに家来共と「だめだこりゃ」といかりや顔を見合わせたナンテ話が残っており、自分もガキの頃に読んだ児童向け歴史本にガッガリ家康の挿絵と共にそのように書かれていたのを記憶している。秀吉が地元である東海地方から引き剥がすという目論見で関東の田舎へ追いやったという見立てだね。しかし、どうも現在はそうではな