ブックマーク / orion12.hatenablog.com (113)

  • 人となりを知りたければ相手の周りにある『人・物・出来事』を観る - 『クリアー整体ヒーリング』です

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業が『生きる』ということなんじゃないでしょうか? 『生きる』ということは生が終わる地点まで己が命を運ぶということでしょう。 命を運ぶのが運命なら、運ぶためのチカラが常に動いているエネルギーの波なのです。 逆にいえば常に動くことでエネルギーは生まれます。 エネルギーがなければ生きてはいけません。 だから、生きてる限りその波に乗り続けるしかないのです。 上手いこと波に乗れるか乗り損なうかが運命の分かれ目です。 運命ってのは相対的なものです。 世の中のモノはすべて相対的に出来ています。それは、それぞれの運命は常に絡み合い、影響を与え合いながら存在してるってことです。 だから、人と交わり、この

    人となりを知りたければ相手の周りにある『人・物・出来事』を観る - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 予言と破壊衝動 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    所謂『予言』ってヤツは『当人にだけ都合のいい一発逆転』を求める人の最後の拠り所なのでしょう。 少なくともそういう願望を抱く人にとって都合の良い『設定』なのは確かです。 それは、「この世界そのものが一旦ガラガラポンされて、それまであった都合の悪いモノが全て粉々になってから新たな出発をする」というような『設定』のことです。 その『設定』には「それをカミサマみたいな善いモノがずっと昔から望んでいるのだ!」みたいな『設定』が2段重ねで乗っかっています。 なので、所謂『予言』というのは「この世界にルサンチマンを抱く者の破壊衝動の産物だ」と言い換えることができます。 噛み砕いていえば「オレが気出したらこんなモンじゃねぇ! オレが評価されない世の中なんて一度全部滅んじまえ! 滅んだ後はオレ様仕様のパラダイスがきっとやって来るはずだからな!」みたいな願望の具現化なのでしょう。 所謂『予言』というのはルサ

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  • 視野の狭い人の使いたがる言葉 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間というのは質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 全能感ほど無知から遠いモノはないからです。 ここでいう全能感とは何でも知っていると思い込むココロのことです。 「全能感が強い」というのはそれだけ「心の視野が狭い」ということを意味します。 心の視野の狭さとは人間に来備わった危機察知能力によって感じられるはずの感覚が十分感じられなくなった状態のことです。 心の視野が狭くなるほど周りのことなんて見えなくなります。 見えて

    視野の狭い人の使いたがる言葉 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 『無知』は時に身を滅ぼします - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ロシアンルーレットは、回転式拳銃(リボルバー)に1発だけ実包(弾薬)を装填し、適当にシリンダーを回転させてから自分の頭(特にこめかみ)に向け引き金を引くゲーム。 心霊スポット巡りというのは、ロシアンルーレットみたいなモノです。 これまで何も起こらないからといって、これから何かが起こらない保証は何処にもないって意味でね。 ロシアンルーレットでいう『一発の弾丸』がいつどこで炸裂するかなんて誰にも分からないってことです。 というか最初から「弾丸(危険性)がない」と舐めて掛かると痛い目にあいます。 そういうことは別に心霊スポット巡りだけではないです。 そういうことっていうのは「無知による思い込みによって危険性をことさら低く見積もる行為」のことです。 で、「最近世の中にはロシアンルーレットをロシアンルーレットと認識しないままやってる人が実に多いなぁ」って感じるのです。 心霊スポット巡りの話に限らずで

    『無知』は時に身を滅ぼします - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 時代の変化とエネルギーの変化 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    私のヒーリングを受けた方はご存知ですが、ヒーリングをしている時というのは時々ゲホゲホとかいう以外は見た目は基黙って静かな状態になります。 「何やってんだ? このおっさんは~」って感じかもしれません(^_^;) そういう時に何が起きているのかというと簡単にいえばあまり良くないエネルギーが出てきているのです。 あまり良くないエネルギーを線香の煙みたいなモノと捉えてもらえれば分かりやすいのではないでしょうか? 線香の煙がブワッと顔にぶつかった感じと申しましょうか… まあ、いつも必ず咳き込むわけではないです。 また正直「どうして咳き込む時とそうじゃない時があるのか?」その違いについて深く考察したことはありません。 ただ、「咳き込んだら良くないモノが出てきてるだろうな」ということを経験則として持っているのは事実です。 ヒーリングで浄化する相手には生きてる人の想念エネルギーや亡くなられた方々やら物の

    時代の変化とエネルギーの変化 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 人の想いのチカラは簡単に消したりできません - 『クリアー整体ヒーリング』です

    この世においては肉体を持っているということは圧倒的な強みです。 肉体がないモノと肉体のある者とではエネルギー的な強さが全く違うのです。 よって、肉体のないモノは肉体を持つ者に『依代』を求めたがります。 ここでいう『依代』とは現実世界にアクセスするためのツールという意味です。 逆にいえばその依代が無ければ肉体のないモノたちは現実世界に強力にアクセスすることが出来ません。 身体を持たないエネルギー体がこの世界で制約もなく動き回れるのなら、何もわざわざ生きている人間と所謂『悪魔の契約』など結ぶ必要はないのです。 自由気ままに人間に取り憑いたり離れたりすればいいだけの話ですので。 ここでいう『悪魔の契約』とは人間が物の怪などの人外のモノから何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)を得るためにする『取り引き』のことです。 『取り引き』することによって人外のモノとギブアンドテイ

    人の想いのチカラは簡単に消したりできません - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 3割引の視点と狂信へと至る道 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    眼に見えない世界の情報というのは現実に裏付けが取れないことのほうが圧倒的に多いです。 だから、幾ら物っぽく感じたとしても眉に唾付けて3割引くらいで捉えておいたほうが無難ではないでしょうか? それは別に目に見える現実社会でも同じです。 この『3割引』の視点というのは物事を俯瞰的に見るためには随分役に立ちます。 『3割引』の視点ってのは、簡単にいえば自分を含めて「世界は絶対じゃない」という想いをいつも忘れないということです。 「世界は絶対じゃない」という想いというのは、「人生には或いは世界には、いつどんなどんでん返しがあるか分からないよね」って感じていることです。 そのどんでん返しってのを小難しい言葉でいえば『コペルニクス的転回』ってヤツです。 人間は元々主観的な存在です。 純粋に客観的な視点を持つ人間などというものは一人も存在しません。 主観というものには大なり小なり偏りが存在します。 一

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  • 心のノスタルジー濃度を濃くしすぎない方が生きやすい - 『クリアー整体ヒーリング』です

    とにかく「昔は良かった!」っていう人がいらっしゃいます。 堕落した『現在』と理想郷であった『過去』を対比させるような心の在り方です。 昔の人は立派で純粋で、今の人間は心も身体も堕落してしまったと考えているのかも知れません。 「時代を経るにつれ世界は段々ダメになる」って考えるのは仏教の末法思想やユダヤ・キリスト教の終末思想もそうですし、古今東西よくある考え方なのでしょう。 私からしたら時代が進むほど世の中なり人間なりがダメになるって考えるのは、「現在進行形の『世界』を呪詛してるだけだろう」と感じてしまいます。 当は大して良くもなかった『過去』を持ち上げることで、今ここにある自らの不遇を『世界』のせいにしようとしているだけだとね。 非常時の今の世の中においては、理想郷であった『過去』は『古き良き日』として表現されたりします。 そして、「昔の日は今のような『堕落した道徳なき国』などでは決し

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  • 創造主というモノを設定した人類と眼に見えない大きな存在 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは他ならぬ人間だからです。 「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな概念を造ったのが人間だってことです。 もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」って呼んでるだけの話です。それ以上でもそれ以下で

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  • 波動のレベルと荒々しさがもてはやされる時代 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 日々の何気ない言葉や行動の集積がその人の波動のレベルを形作っていきます。 そうやって形作られた波動のレベルがまた次の波動のレベルの土台となるのです。 日常的に言葉が荒々しいというのはその人の波動が荒々しいということです。 波動が荒々しいということは波動のレベルが低いってことを指しています。 日ごろから荒っぽい言葉を使い続けていると意図せずとも波動のレベルが下がりやすい心のカタチになっていきます。 言葉の荒々しさには荒々しい想念エネルギーを増幅させやすい性質があるからです。 実際荒々しい行動や言動を繰り返す人の波動のレベルはドンドン低くなっていくものです。 だから、その人の

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  • 所謂宇宙人神話ってのは古くからある神話の焼き直しである - 『クリアー整体ヒーリング』です

    所謂一つの『宇宙人神話』って個人的に呼んでるモノがあります。 ここでいう『宇宙人神話』というのは「遠い宇宙の果てからやってきた知性体が高度な技能によって地球を生物の住めるような星に改造し、人類という存在をテクニカルに作りだしたのだ!」という風なお話全般のことです。 元々そういう類いのお話は「地球人と同じように物理的に存在する先進的な宇宙人が、この地球上で人類の歴史に関わるような色んな工作を行ってきたんじゃないか?」というような話が主流だったと思います。 例えば「宇宙船に連れ込まれて発信機みたいなものを埋め込まれた」とか「ミステリーサークルが一夜にして出来てた」とか、あくまでも現実世界で起こっている出来事という体で話が進められていました。 ただ、今の宇宙人神話というのはそういうのとは随分違っているように感じます。 今の宇宙人神話に出てくる所謂『宇宙人』というのは、昔テレビのUFO特番で見てい

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  • 仮定盛りとフワフワした万能感 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「これはそうに違いない!」という思い込みを土台にして、「これがそうなら、やがて必ずこうなっていくはずだ!」という風に、仮定の話をまるで『ブレない真実』のように盛り付けていくやり方を表す言葉です。 で、そうやって盛り付けた仮定の話は、直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に新たなる仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションなんですけどね… で、この仮定盛りにおいて一番問題なのは、根拠のないことを盛りつけることより『自分がどこまで話を盛っているのか、ご人さえ分別出来なくなること」です。 話を盛ってる意識が薄くなっていくなくなるのでし

    仮定盛りとフワフワした万能感 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 操れる系と「禍福は糾える縄の如し」 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。 、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも何処かで何かと繋がって最後は『大きな一つの絵』になるのです。 その大きな一つの絵を人は『運命』と呼ぶのだろうと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。 人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過ぎないからです。 もっと言えば古今東西世界で起こった出来事の全ても途轍もなく巨大なジグソーパズルの一欠片として存在しているってことです。 一人の人間の運というのもまた同じジグソ

    操れる系と「禍福は糾える縄の如し」 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • チカラ比べと殺伐としたココロの世界 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 チカラ比べには終わりがありません。 いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。 それは眼に見えないチカラの話だけとは限りませんがね… よって、除霊を続ける限りいつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃなりません。 そうしなければ、いつの日か相手からねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。 そうでなくても相手がいる限りはいつも一方的なやりたい放題が出来るとは限りません。 常に『返り討ちに遭う可能性』は存在するってことです。 返り討ちにまで会わなくても『返り血』くらいは浴びるかも知れないです。 そういうことを長く続ければ続けるほど『返り血』を一滴も浴びない可能性は限りなくゼロに近付いていくでしょう。 そこにあるのは『斬った張った』の殺伐とし

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  • 不安と恐怖とブレながら進む人生 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。 生あるものにとって「不変とは澱むこと」に他なりません。 心がずっと一ヶ所に踏みとどまることはすなわち「劣化」を意味します。 だから、生きている限りブレながら前へ進み続けるしか手はないのです。 死ぬまで『迷い』と『不安』を友としながらね… 人間は元々主観的な存在です。 純粋に客観的な視点を持つ人間などというものは古今東西誰一人存在しません。 『主観』というものには大なり小なり『偏り』が存在します。 一人一人が見てる『世界』にはそれぞれに常に『偏り』が存在しているということです。 人の心は偏っているのだから、前へ進めば必ずブレるので

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  • 思考と勘と運命のタイミング - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。 つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって『一つの絵』になるのです。 それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するようなモノではありません。 人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過ぎないからです。 もっと言えば古今東西世界で起こった出来事の全ても途轍もなく巨大なジグソーパズルの一欠片として存在しているってことです。 一人の人間の運というのもまた同じジグソーパズルの

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  • 「日にちを記念する」というのは所謂ひとつの呪術である - 『クリアー整体ヒーリング』です

    森羅万象すべてのモノには波動エネルギーがあります。 だから、当然言葉にも波動エネルギーがあるのです。 今まで何度か申し上げてきた「呪をかける」という行為もまたその言葉のエネルギーを使っています。 ここでいう「しゅをかける」とは強い言葉で相手に衝撃を与え心に『隙間』を作り、そこに不安や恐怖を打ち込んで縛ることです。 『言葉』のチカラを使って人の心をコントロールするために為されるモノです。 それは『他者』の心を支配し、時に『場の空気』まで支配しようとする呪術です。 なので、「呪をかける」という行為は最初は特定の個人なり集団によって行われるものです。 ただ、繰り返しかけれた呪はいつしかそれ自体が独り歩きし出します。 個人の手を離れ、社会的な禁忌になり、エネルギー的には人を縛るモノとして眼に見えない効果を発揮することもあるようです。 「呪をかける」というのは言葉に特別な『意味』を与えることとも言え

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  • 相手をねじ伏せるためのタダシ書き理論は波動のレベルを下げる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    世の中事態がどう転んでも言い逃れ出来るように意図的に『タダシ書き』を使う人は少なくようです。 個人的には「何があっても自分に都合のいい方向へ物事を動かそうとする人がよく使う手だ」と思っています。 例えば「自分の拝んでるのは当の稲荷のキツネだけど、誰それの拝んでるのは邪悪な妖狐である」みたいなことをおっしゃる方がいらっしゃいます。 「キツネは神さまです。ただし、中には妖狐ってのがいてそれは妖怪なんです!」ってな話です。 以上のように『タダシ書き』を付ければ解釈変更なんて幾らでも出来ます。 この『タダシ書き』と似たようなモノに「絶対外れないようになってるリバーシブルな予言」ってのがあります。 実際には別に予言限定のやり方ではありませんけどね。 例えば先ず「近いうちに未曾有の天変地異が日に襲いかかります!」とか予言めいたことを語ります。 「ただし、大きな祈りが実践され成就すればその天変地異は

    相手をねじ伏せるためのタダシ書き理論は波動のレベルを下げる - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • ホンモノの神とニセモノの神 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。 今回に限らず私がカミサマって言う時は『そういうモノ』のことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 じゃあ、「何故そんな風に神を規定するのか?」というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは、他ならぬ人間だからです。 「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな『概念』を造ったのが人間だってことです。 もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」って呼んでるだけの話です。 その

    ホンモノの神とニセモノの神 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 憑かれやすいココロと偏った心 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    所謂『憑かれる』といってもオカルト系の漫画みたいにド派手な怪奇現象が起こるなんてことはそうそうはありません。 もし起こったとしても随分状況が進行した段階でのことです。 それも誰にでも分かることってのは少ないでしょう… 憑きモノってのは最初はその人の内側からジワジワとゆっくり浸していきます。 浸した部分はその人じゃないモノにアハ体験のように差し替えられていくのです。 アハ体験というのは、差し替えられた部分がご人からは分かりづらくなってるという意味です。 意識して見れば違うのでしょうが、意識しなければ中々違いが分からないでしょう。 差し替えられた部分が大きくなればなるほど周りから見れば明らかにオカシク見えるようになります。 良くない意味で変化が表面にまで現れるってことです。 ただ、幾らオカシクたってその人が自分のオカシイことにピンと来なければそのおかしさに遅かれ早かれ慣れてしまいます。

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