連載:バックステージから 見た沖縄音楽の歴史 普久原朝喜小史 其の壱 沖縄民謡を理解するには、近代琉球民謡の祖、普久原朝喜(普久原恒勇氏の父)氏を知らなければならない。これから数回にわたり、普久原朝喜氏の小史を掲載する。 明治36年(1903年)12月30日、普久原朝喜は越来村(現沖縄市)照屋に生まれる。父、朝義。母カメ。 男4人、女5人の上から2番目の長男。大正12年関東大震災の年に、大阪に出稼ぎに出て、その頃の若者達がそうであったように紡績工場に勤める。 21歳の時である。その頃、添田唖蝉坊は仙台のくず屋に部屋を借り街頭で唄ったり、後には「くず拾い」もやったという。 そんな時代―。 朝喜は幼少の頃から、ジンブナ―で働き者だった。沖縄にいた時は馬車持ちゃーをして各地をうたい歩いた。毛遊びー頭としても持ち前の美貌で相当のものだったと推察される。カチャーシー競争で連続切れ目なく3時間も唄い、
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