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2011年3月26日のブックマーク (3件)

  • 【画像あり】被ばく作業員の搬送がどうみても普通じゃない件

    1:名無しさん@涙目です。(静岡県):2011/03/25(金) 16:20:09.52 ID:kioaUnyJ0 東京電力福島第1原発3号機のタービン建屋地下で、作業中に両脚を被ばくした関電工の男性社員2人が25日昼すぎ、千葉市の放射線医学総合研究所(放医研)に転院するため、福島県立医大病院(福島市)を車で出発した。4日間程度入院し、治療を受ける。2人と一緒に被ばくした関電工下請け会社の男性社員も放医研に向かった。 入院していた2人は関電工原子力部の20代後半と30代前半の社員。出発前、除染棟の近くに並んだ除染車や体表面測定車で除染を受けた。付近には白い防護服姿の自衛隊員ら15人ほどが出て、ものものしい雰囲気。2人の姿が見えないよう覆ったブルーシートの間から、サンダル履きの素足がのぞいた。 東電福島事務所は24日夜、2人が痛みや吐き気などを訴えていないとした上で、皮膚への障害が大きいベー

    【画像あり】被ばく作業員の搬送がどうみても普通じゃない件
  • 震災後10日目の仙台市「非日常が日常と化した街」|ガジェット通信 GetNews

    大きな写真はこちら 原稿と写真はガジェット通信読者の報道カメラマン菊地さんからご寄稿いただきました。 ●震災後10日目の仙台市「非日常が日常と化した街」 東北、関東の太平洋沿岸部を中心に甚大な被害をもたらした東日大震災。死者、行方不明者は2万人を超える。発生から10日あまりの19日から3日間、仙台市、石巻市を歩いた。 抜けるような青空の下、空き地にぽつんと置かれたビニールシート。長さ160センチ、横は60センチほど。近づくと、浜風で舞い上がった土ぼこりが当たり、パチパチと音を立てた。幾重かのシートにくるまれ、粘着テープで閉じられた女性の遺体だった。あたりは津波が運んだ砂で、一見砂浜のように思えた。よく見れば、頭を北に横たわっていた。 仙台市若林区荒浜。海岸沿いで潮風と泥の臭いが入り交じる。神奈川県から災害援助の消防隊員2百数十人が遺体捜索をしていた。津波が何度も押し寄せた同地区。住宅地の

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  • 東北地方太平洋沖地震・首都圏帰宅ログ :: デイリーポータルZ

    これが今日現在までに集まった「帰宅ログ」。2011年3月11日、地震があった後、首都圏のみなさんがどのようにして帰ったか、の記録だ。青は鉄道・バスなどの公共交通機関、そして赤は徒歩による移動。 東京の被害は東北のそれに比べれば軽微なものだったが、それでも大きな問題だった思うのは、やはり交通網が麻痺した際の、首都圏の帰宅難民だ。ぼくも帰れなくなった。 情報があまり得られない中、どのタイミングでどういう手段で帰ればいいのか、という判断はかなり難しかった。さんざん話には聞いていたが、いざほんとうにそうなってみると戸惑うことばかり。関東大震災以来、東京にとってはじめての、実際に起こった大規模な帰宅難民問題だったはずだ。 と同時に、多くのみなさんと同様、ここ数日ぼくも「自分に何ができるだろうか?」と考えていた。で、出した結論がこれ。とりあえずみなさんの帰宅のログを残しておこう。後のために。誰かのため