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基本的と正当性に関するkyo_agoのブックマーク (1)

  • 怒りの文化についての考察 - いつの日か霧が晴れて

    怒りの文化 以前書いた記事 怒る習慣はどこから来た? - いつの日か霧が晴れて で触れたとおり、私は、習慣として怒っている人たちの間には、ある種の共通的な文化があると感じている。この記事では、そのことを紹介してみたいと思う。 私がこの文化の存在に気づいたのは、アドラー心理学と出会うよりも2〜3年くらい前のことになる。(従って、このアイディアには必ずしもアドラー心理学に沿わないものも含まれているかもしれない。) 気づいた当初、私はこの文化に自分なりの名前をつけた。その名前は「怒り貨幣経済」である。 「怒り貨幣経済」の特徴 私が思う「怒り貨幣経済」の特徴は次のようになる。 習慣として怒っている人たちは、自分の怒りも他人の怒りも非常に気になる。怒りは基的に着目すべき現象、解決されるべき問題だと考えている。 誰かが怒っていることはある種の「チャレンジ(挑戦)」である。怒りに “正当性” があると

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