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ブックマーク / usuiou.hatenadiary.org (2)

  • ニコニコ動画の一次創作系動画に光を当てるためには - バレエイメージ研究所日誌

    ニコニコ動画のこれからの課題のひとつに、おそらく「一次創作」(二次創作に対比した言い方。つまりオリジナル作品)のコンテンツをいかにしてユーザーに投稿してもらうかという点があると思う。少なくとも現状では二次創作系動画に対して一次創作は圧倒的に量が少ない(音楽系は除く)。たぶん、ニコニコ動画の運営サイドは十分に認識はしているだろう。「国際ニコニコ映画祭」などはそうした認識を反映したイベントだと思う。ただ、いまひとつ一次創作系動画の促進には効果が出ていないようだ。 ユーザーが一次創作系の動画をあまり投稿しない理由はそもそも制作のハードルが高いということもさることながら、オリジナル作品は案外見てもらえないという点にあるのではないだろうか。見てもらえないから投稿しない、投稿されないから作品の数も質も低い、だから見てもらえない。この悪循環を断つにはとりあえず少しでも「見てもらえる」工夫をするしかないだ

    ニコニコ動画の一次創作系動画に光を当てるためには - バレエイメージ研究所日誌
  • 棒歌ロイドの電子的な響きには「人の声の類似品」にとどまらないテイストがある - バレエイメージ研究所日誌

    初音ミクをはじめとするヴォーカロイドの「声」は基的にはヒトの声をシミュレートしたものだという印象がある。実際、音源はヒトの声をサンプリングしたものだし、できるだけヒトの声を再現するという方向で開発されたものだと思う。だが、「ぼかりす」の登場とその後の状況を鑑みると、どうもヒトの声に近づければいいというものじゃないのか、という気もしてきた。ヒトらしい歌い方を実現するためのシステムとして開発されたという「ぼかりす」は各方面に衝撃を与えたし、実際に公開されたサンプルを聞くと確かにそれらしい歌い方が実現できている。最近は巡音ルカ版もニコニコ動画にアップされていて、演歌の節回しを器用にこなしていた。だが、その「ヒトくささ」は果たしてヴォーカロイド系の楽曲の全てにおいて望まれる方向なのだろうか。 生身のヒトの声とは違う「不器用」さ、「機械っぽさ」は「ヒトならざるものとしての声」としてある種の独立した

    棒歌ロイドの電子的な響きには「人の声の類似品」にとどまらないテイストがある - バレエイメージ研究所日誌
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