[インディン(ミャンマー) 9日 ロイター] - 縛られ、拘束された10人のロヒンギャの男たちは、すぐそばで浅い墓穴を掘る隣人の仏教徒たちを見つめていた。それからまもなく、昨年9月2日朝、彼ら10人の遺体がその穴に横たわった。
平昌五輪は第3日の11日、強風でアルペンスキー・男子滑降が延期、スノーボード・女子スロープスタイル予選が中止になった。強行開催した競技でも、風に翻弄されて勝負技を繰り出せないなど影響が出ている。ただでさえ屋外競技場の気温が氷点下10度以下になる極寒五輪。アスリート・ファーストとはほど遠い環境に選手は悪戦苦闘している。(岡野祐己、奥山次郎、浜田慎太郎) 「もう信じられない。気持ちがひるんじゃう。『こんなの中止でしょう』と心の隅で文句を言いながら寒さに耐えていた」 8度目の五輪となる45歳の大ベテラン、葛西紀明が強風と寒さに思わず悲鳴を上げた。10日夜のジャンプ・男子個人ノーマルヒルは、時に秒速5メートルを超える強風で競技がたびたび中断。スタートゲート付近の選手は、スタッフに毛布でさすられたり、コートを身にまとったり。寒風に凍えながら順番を待った。 五輪金メダルを4個持つシモン・アマン(スイス
時事通信が1月13日に配信したある記事に対し、農林水産省を中心に霞ヶ関がにわかに沸いている。その内容は、農水省が働き方改革の一環で、文書作成ソフトをジャストシステムの「一太郎」からマイクロソフトの「ワード」に統一する方針を決めた-といったものだ。唖然(あぜん)、失笑の各省庁を尻目に恥じらう農水省。インターネット上でもさまざまなツッコミが展開される事態となった。 「ワードを導入することを普通働き方改革とは言わない」「一太郎なんて久しぶりに聞いた」「一太郎は農水省で生きてたのか」-。ネット上では、農水省の時代錯誤を揶揄(やゆ)するような書き込みがあふれた。他の省庁からも、「まだ一太郎を使っているとは知らなかった」(財務省課長)、「記事を読んで、久しぶりに笑わせてもらいました」(経済産業省課長)といった声が相次いだ。 記事によると、農水省は1月からワードに順次切り替えを進めるという。これまでは、
米宇宙開発企業スペースXの宇宙船を把持する国際宇宙ステーション(ISS)のロボットアーム。NASA提供(2015年4月17日撮影、資料写真)。(c)AFP PHOTO / NASA 【2月12日 AFP】米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)は11日、米政府が国際宇宙ステーション(ISS)の予算を2025年までに打ち切り、民営化することを検討していると報じた。 同紙が入手した米航空宇宙局(NASA)の内部資料は、「連邦政府によるISSへの直接的な支援が2025年に打ち切られても、軌道から離脱されるわけではない」と指摘。民間企業が将来、商業目的でISSの装置や機能の一部を引き継いで運営することは可能だと述べている。 民営化を円滑に進めるため、米政府は民間企業に市場分析と開発計画を提出させるだろうと、ワシントン・ポスト紙は伝えている。 ただ、民営化には激しい反発が予想される。
アメリカで1961年に生まれた男の子3人の三つ子がいた。 彼らは生まれてすぐ、別々の家庭の養子となりその後19年間、お互いの存在を全く知ることがなかった。 子供の人格形成や成長は環境と遺伝子、どちらが優位に働いているのかを調べる実験の為だ。3人は実験の為に引き離され、その成長を19年間ずっと観察され続けていたのだ。 19年後、自分そっくりの存在を知る兄弟たち この三つ子の名は「ロバート・シャフラン」、「エディ・ガラン」、「デビット・ケルマン」と言う。 1980年、ニューヨーク、サリバン・カウンティ・コミュニティ・カレッジに到着した初日、19歳となった「ロバート・シャフラン」は、見知らぬ人々がハグやハイタッチで暖かく出迎えてくることに戸惑った。 だがとりわけ解せなかったのは、彼らが自分を「エディ」と呼んでいたことだ。 その理由はルームメイトととなるマイケル・デーミッツに会った時に分かった。マ
神武陵にされる前のミサンザイ 「文久の修築」による変貌 改変が繰り返される「神武陵」 広大な森を新たに造成 演出される「神秘」「荘厳」 幕末の下級武士たちがでっち上げたペテン 神武陵にされる前のミサンザイ 式年祭についての記事でも書いたように、現在の「神武天皇陵」は、幕末の文久2(1862)年、恐らく神武の埋葬地ではない「ミサンザイ」に決定された。その後、明治から昭和にかけて、このミサンザイは巨大で荘厳な「天皇陵」に作り変えられていくことになる。 まず、この地が神武陵に比定される前はどうだったか。「文久の修築」前の状態を示す絵図が残っている[1]。 当時のミサンザイは、田圃の中の小さな塚に過ぎない。そこには榎一本と茨のような灌木が一株生えていた[2]。ちなみに、旧洞村の古老の話によると、ここはもともと糞田(くそだ)と呼ばれており、牛馬の処理場だったかも知れない[3]、という。 「文久の修築
近畿天皇家の初代神武に続く2代目綏靖から9代目開化までの8代を、「欠史八代」と呼ぶ。理由は、古事記・日本書紀でのこれらの天皇に関する記載が系譜だけであり、事績(説話)を欠いているからだ。 もっとも、厳密に言うと説話がまったくないわけではない。例外として、綏靖が父神武の死後、どうやら父の後を継いでいたらしい異母兄の当芸志美美の命(タギシミミのミコト)を殺してその地位を奪ったという話が書かれている。 ともあれ、ほとんど説話の記載がないことは事実で、このため戦後史学ではこれらの天皇は架空の存在とされてきた。いくつかバリエーションはあるが、戦後史学での基本的な考え方は、記紀を編纂する際、天皇家の起源を古く見せて権威付けするため、まず架空の初代神武をはるかな過去に置き、最初の実在天皇である崇神との間を、これらの系譜を造作することでつないだ、というものだ。 しかし、ここで大きな疑問が湧いてくる。これら
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