国道1号のなかでも明らかにメインルートから陥落してしまった区間が鈴鹿峠です。江戸時代には東海道の難所でしたが、廃れてはまた栄えるといった繰り返しを経てきました。その400年の交通の歴史が、峠に詰まっています。 メインルート化・旧道化を繰り返した東海道の要衝「鈴鹿峠」 江戸時代の東海道を下敷きとする国道1号は、それぞれの地域で主要な道路としての役割を担っていますが、なかには、ちょっと寂しい区間もあります。沿道に連なっていた店舗や施設が次々と廃業し、クルマだけでなく人の往来も少なくなった区間――それが、三重~滋賀県境の「鈴鹿峠」です。 天下の国道1号にもかかわらず、なぜ廃れてしまったのか。歴史をたどると、この区間は400年のあいだに幾度もメインルート化と旧道化を繰り返していました。そしてこの鈴鹿峠には、400年分の歴史がまるで博物館のように“保存”されているのです。 拡大画像 鈴鹿峠の「鏡岩」