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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (7)

  • わたしの弟はワクチンを打たない - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。最初の通達から一年あまり、何度目かの通達のさなか、疫病のワクチンが提供されはじめた。それで全員が打つかといえば、そうではない。わたしの弟は打たないという。そして、わたしはそれを責めることができない。 弟は東京で一人暮らしをして、アルバイトで生計を立てている。今日働かなければ来月の家賃があやうい。運も悪かったし、弟の思慮が足りないところもあったと思うのだけれど、とりあえず自分で生活はできているのだし、人に大きな迷惑をかけているわけでもなし、責められるようなことではない。 わたしはそう思っているのだが、両親は「恥だ」と思っている。自分たちの助言をふいにして大学進学をせず、夢みたいなことを言っておかしな企業に就職してすぐに辞めてその日暮らしをしている、そんな浅はかな息子は心配するのも癪だと、そういうふうに思っている。 そうはい

    わたしの弟はワクチンを打たない - 傘をひらいて、空を
  • セフレですよ、不倫ですよ、ねえ、最低でしょ - 傘をひらいて、空を

    仕事の都合で別の業種の女性と幾度か会った。弊社の人間が、と彼女は言った。弊社の人間が幾人かマキノさんをお呼びしたいというので、飲み会にいらしてください。 私は出かけていった。私は知らない人にかこまれるのが嫌いではない。知らない人は意味のわからないことをするのでその意味を考えると少し楽しいし、「世の中にはいろいろな人がいる」と思うとなんだか安心する。たいていはその場かぎりだから気も楽だし。 彼らは声と身振りが大きく、話しぶりが流暢で、たいそう親しい者同士みたいな雰囲気を醸し出していた。私を連れてきた女性はあっというまにその場にすっぽりはまりこんだ。私は感心した。彼女は私とふたりのときには同僚たちに対していささかの冷淡さを感じさせる話しかたをしていた。 どちらがほんとうということもあるまい。さっとなじんで、ぱっと出る。そういうことができるのである。人に向ける顔にバリエーションがあるのだ。私は自

    セフレですよ、不倫ですよ、ねえ、最低でしょ - 傘をひらいて、空を
  • 生徒会長から雲をもらった話 - 傘をひらいて、空を

    西脇くんは生徒会長でわたしは書記だった。中学生のころのことだ。わたしたちは素直ないい子で、クラスで推薦されて先生からもやってほしいと言われて全校生徒の前で選挙に出て生徒会をやっていた。わたしはピアノが得意で芸高の受験準備をしていた。西脇くんは進学校に行くつもりであるらしかった。わたしたちの中学校はどちらかといえばガラの悪い下町の公立校で、わたしたちはだから、相対的に優等生だった。 西脇くんは背の高いがっしりした男の子で、もじゃもじゃの髪を中学校の校則ぎりぎりまでのばしていた。黒縁のめがねをかけていて、そのめがねは上等のものだった。わたしは工芸に詳しくなかったけれど、それでもわかった。 そのめがね、いいね。わたしが言うと西脇くんはそれを外し、制服の裾でていねいに拭いて、見る、と言った。わたしはありがとうと言ってそれを見た。一見ふつうの黒いフレームのめがねだったけれど、流麗なフォルムをしていた

    生徒会長から雲をもらった話 - 傘をひらいて、空を
  • 「生んでくれてありがとう」 - 傘をひらいて、空を

    生んでくれてありがとう。 息子が言う。保育園の卒園式のことである。子どもたちがひとりひとり保護者にメッセージを伝える。なにぶん六歳だ。自分だけで考えたら、要領をえない、しどろもどろの、あるいは日常的な発話になる。でも式典はスケジュールが決まっているから子どもたちはひとことずつしか口にできない。順番に、滞りなく、全員が、みじかい決め台詞を言う。そういう場だから、文言はだいたい決まっている。「送り迎えしてくれてありがとう」というのがもっとも多い。その中でわたしの息子は「生んでくれてありがとう」と言った。 わたしは反射的に口を手で押さえる。その手をスライドさせて目の下と鼻と口を覆う。表情の細かい伝達を隠し、かつすごく感動しているように見える姿勢をつくる。隣のママ友が言う。まあ、なんてこと言ってくれる子かしら、こっちまで泣いちゃう。ほどなく園児たちはそれぞれの親のところへ行く。わたしはめいっぱい嬉

    「生んでくれてありがとう」 - 傘をひらいて、空を
  • 教養がないとはどのようなことか - 傘をひらいて、空を

    私の勤務先では人事部だけが採用活動をするのではなくて、現場の人間が面接を担当する。面接官は通常二人組で、このたび私を指名したのが篠塚さんである。篠塚さんは言う。僕、教養がないんで、面接でその手の話になったときにはよろしくです。 篠塚さんは私よりいくらか年長の男性で、職務上の能力がとても高い。専門知識を常時アップデートしている。ものの言い方が率直すぎて誤解を招くことがあるが、内容はおおむね正論である。基的に誰にでも親切で骨惜しみをしない。イギリスで修士号を取ってから就職したと聞いている。 教養とはこの場合、何のことでしょうか。私が訊くと、篠塚さんは明快に(だいたい明快な人物である)答えた。文学とか芸術とかです。マキノさんそういうの好きでしょ。 私はたしかに小説を読み美術館に行くが、それを教養と呼ぶのか。好きなものを好きなように摂取しているだけではないのか。篠塚さんは言う。僕、仕事関係以外の

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  • 仮定による傷、処方としての贈与 - 傘をひらいて、空を

    災害のためでなく、もとより私たちのあいだには電話を使う習慣がなかった。ふたりともけちなのだ。だからおしゃべりにはskypeを、それが普及する前はチャットを使っていた。 私は内心、skypeがある時代でよかったと思っていた。たいした被害も受けていなかったのに、人の声を聞いたら肩の力が抜けた。人の声がことのほかいいものに感じられた。 彼女は茨城のご両親の無事を報告し、それから、募金どこにするのと訊く。赤十字かなと私はこたえる。うちの会社もやるんだと彼女は言う。その発表したらなんかね、きたよ、偽善者ー!みたいな匿名メール。うちみたいなちっちゃい会社にそんなメール送ったっていいことなんにもないのにね。うちの関係者なんだろうけど。 糾弾はある意味でもっとも簡単な参加の方法だからねと私はこたえる。私は思うんだけど、こういう大きな災害とかって、自分の中に位置づけるのがけっこうたいへんなんだよ、直接被災し

    仮定による傷、処方としての贈与 - 傘をひらいて、空を
  • 間がもたないデートと精神的な内臓 - 傘をひらいて、空を

    私が電話に出るなり、あのさ、彼氏とどんな会話する、と彼は訊いた。彼氏によると私はこたえた。相手によって話題は変わる、友だちと何しゃべってんのって訊くのと同じで、具体的な内容を答えられる質問じゃないね。 めんどくせえ女だなあ、今までの誰かひとり適当に見繕って答えてくれってことだよ、空気読め、と彼は言った。なんで私があなたの吐いた空気を読む義務があるのと私は訊いた。彼は楽しそうに笑った。彼は会話の中で軽くやりこめられるのが好きだ。 私は携帯電話を耳に当てたままベッドに寝そべって話す。まずは好きって言うよね。そんなん一秒で終わるだろと彼は言う。二文字じゃん。わかってないなと私は言う。好きにもいろいろバリエーションがあるの。褒めるとか。人によってはなに着ててもまずは褒めてくれる。なにも着てなくても褒める。どうかすると電話に出ただけで「相変わらずかわいいねえ、声がとても」とか言う。 狂ってると彼は言

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