「みなさん、こんにちは。PLANET NIHON(プラネット にほん)のメグです! 今日はラーメンを作りましょう」。アラビア語と時折日本語で、恵さんの歯切れのいいリポートが始まる。 日本に来るまでの恵さんの人生は、決して平穏なものではなかった。クウェートで生まれたが、1990年に始まった湾岸戦争から逃れて家族でイランへ。イラクをへて、たどり着いたエジプトの紅海沿いの街ハルガダで暮らすようになった。 カイロの大学で建築を勉強していた時に、電車の中で偶然日本文化「オタク」の女性に話しかけられ、誘われるがままに訪れた日本大使館のイベントで、コスプレや日本語などの日本の文化に興味を持った。会社員をへて日本語を勉強していた7年前には、中東に「アラブの春」が吹き荒れ、日本語講座が開かれていた国際交流基金の建物にほど近いタハリール広場が、デモの中心地に。ある時には授業中に建物の中まで催涙弾が入りこんでき