形而上学とはつまり、人間の知覚に関する領域についてのあれこれで、 それはいつでも、 世の全てを覆う(表現する)事を夢見ているのに、 当然のように、夢見ている人間の脳内という限界を出ない。 今、生きている、人間の脳、という限界。 人の形而上学は、生まれてきてから、死ぬまでの、思考と経験の積み重ねで、 その「生まれてから死ぬまでの人間が紡いだあれこれ」は、 螺旋階段を描きながら、「形而上学史」を作るけれど、 人は生きているときしか形而上学ができないので、 その対象はいつの時代も、「人間が生まれてから死ぬまで」に限られる。 今、生きている、その期間、という限界。 人間の認知であったり、 人間の寿命であったり、 そういうものの範囲内で、形而上学をすることは確かに 少しでも「現実的」というイメージを持たせるためには重要で、 もしそれで完結できるのなら、 そんな素晴らしいことはないのだった。 ・・形而