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ブックマーク / krafty.jugem.jp (19)

  • Krafty | 『g:neo』総評

    ファック文芸部の『g:neo』を読んだ。 言うまでもないことだが、虚言とは自分が思っていないことを言う、というだけのことを意味しない。ふと思いついたことを語ってしまった時にそれが世間一般的に道理が通るものであるのかないのか、後者であるとしたら何故そのようなことを思いついてしまったのか、それを書くものは自問する必要に迫られる。それはその虚言を虚言として済ませるのではなく一応は他者の前に晒してしまうことの責任を取るという手続きを踏まえないといけないからでもあるし、それ以前の問題として来考えてもいなかったもの、自分ではない自分というものを確認するとは新たなる自分を見出すプロセスでもあり、自明であるはずの自分という概念を揺さぶられる体験でもあるはずだからだ。私の中には自分がよく把握出来ている私ではなく、自分でも把握出来ていない自分が存在する。その自分でも把握出来ていない言葉に突き動かされるよ

    laiso
    laiso 2006/11/20
  • Krafty | 小説を書くことは恥ずかしい

    自分の場合読んだの感想を書くことはそう恥ずかしくないのだけど、小説を書くことはなんだかとても恥ずかしいことのように感じてしまう。文章の上手下手の問題ではない。自分の文章が下手であるとしても、の感想に関してはそれ自体自分以外のものを対象にして自分を語っているところがある。つまり、題材として語っているのはあくまでで、自分というものはそれにくっついた状態での感想として現れる。だから冷静に書けるし、あらかじめ「これはを読んで感想を書いたのであって、自分のことを直接書いたわけではない」と済ませることが出来る。 小説の場合はストーリーが題材として存在していて自分はそれにくっついている……となれば話は簡単なのだけど、そのストーリーの設定やら話の転がし方やらそのものが自分の中から生まれるものであって、つまりは自分は箱庭を作っている。箱庭の配置にその人の特徴が現れるように、作品そのものが否応なし

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    laiso 2006/06/01
  • Krafty | 突き抜けろ

    私怨トリーはやめれ むしろ逆ではないのか、と思う。「私怨トリー」が問題なのは、その憎悪が中途半端なものだからなのではないか、と。 礼を欠いた言い方になってしまうのだけど、件のエントリにおける吉田氏の文章はとても美しいと思う。美しいと思うけれど、それはメタファーによって華麗に装飾された嘘である、とも思う(嘘という言い方がきつ過ぎるならば、理想と言い換えてもいい。叶う前段階の状態としての理想であると)。別に美しい嘘をつくことが悪いとは思わない。これは皮肉ではない。ある種の信仰心を以って美しい嘘を信じ続けること。それによって生きるための心の糧を得ること。それは何ら悪いことではない。そう生きられるのであれば、そのように生きるのが自然であるとも思う。私もまたどこかで、美しい嘘を当のことと信じて生きているところがある。 だがしかし、それは美しいが嘘であることを見逃したくない。これは純粋に

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    laiso 2006/05/21
  • Krafty | デヴィッド・リンチ監督『ワイルド・アット・ハート』

    ワイルド・アット・ハート スペシャル・エディション デヴィッド・リンチ デヴィッド・リンチの映画は私にとって基的にノワールである。短く言うならそれは、犯罪に手を染めて破滅していく人間の物語である。 確かにリンチの映画はそのストーリー展開において異様であり、現実とも妄想ともつかない境地に迷い込んでしまうことも珍しくない。その意味でノワールとしてのみリンチの作品を楽しむのは愚かではあるだろう。だが、その根底にあるのは人が欲望に流され、己の異常性を発揮し解放していくことにまつわる興味なのではないかと思っている。『ブルーベルベット』のデニス・ホッパーの暴力。『ツイン・ピークス』で一人また一人と狂っていく展開。『ロスト・ハイウェイ』を満たす不条理、そしてポルノと銃の匂い。『マルホランド・ドライブ』の二人の女性の愛憎。そこに犯罪が絡み合い、事件が起きる。そこに確実に存在する情念の濃さ、そ

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    laiso 2006/05/18
  • Krafty | ネトゲにおける「ペラい」コミュニケーションの重要さ

    http://japan.cnet.com/column/pers/story/0,2000055923,20102721,00.htm via http://d.hatena.ne.jp/Leiermann/20060503/p2 私自身はleiermann氏のエントリに全く賛同する。病とは基的に何も出来なくなる事態を指す。外出はもとより、立ち上がることさえ億劫になり寝転んだまま動けず、事や入浴も必要最低限で済ませなければならなくなる。そういう病気だ。だから大元の記事の彼女は――あくまで素人判断だが――病とはまた異なる心理的な病を抱えているのではないか、と思う。 しかし、語りたいことは実はそれでは終わらない。彼女がネットに見出したものに自分は強く興味を惹かれるのだ。それはごく大雑把に言えば二つあると考えられる。一つ目はゲームシステムに乗っかることによって生まれる成長の

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    laiso 2006/05/14
  • Krafty | ポール・オースター著/サム・メッサー絵/柴田元幸訳『わがタイプライターの物語』

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    laiso 2006/05/14
    オースター
  • Krafty | ゾンビのように

    中学生の頃、私にペニスが生えているせいで少し辛い思いをしたことがある。 きっかけはその日の休み時間だった。私は今では与り知れない理由によってペニスが勃起しており、学生服の上からであったとはいえそれは目立ってしまいそれを同級生に嘲笑され、仇名さえ付けられたのだ。どういう仇名なのかまで書くことは避けたいが――当時の二倍以上の年齢に達した私が判断するに、あまりセンスのいい仇名ではないと思う――ともかくそれは中学校の同級生の間に広まってしまい、小学生の後輩たちにもその仇名は知れ渡って、時に通りすがる時などに私を嘲笑しながら呼ぶために使われたのだ。 その時私は、自分のことを恥ずかしいと思った。自分にペニスというものが生えていることが恥ずかしいと思ったし、欲情というものがそうして肉体的に明確に現れてしまうということが恥ずかしいと思った。私は当時は概ね女性に嫌われていたせいもあって、そうして私を

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    laiso 2006/04/18
  • Krafty | 舞城王太郎『みんな元気。』

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    laiso 2006/03/30
  • Krafty | 舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』

    好き好き大好き超愛してる。 舞城 王太郎 実はこれが私にとって舞城王太郎氏の作品の初体験になる。読みながら連想したのは例えば七尾旅人氏の歌だった。それから、併録されている『ドリルホール・イン・マイ・ブレイン』の焦燥感に辛うじて――当に辛うじて――ナンバーガールの残響を聞いたかな、という印象を覚えた。どちらにしても共通するのはその世界観がびっくりするほど幼く、無垢であり、それ故に現実の窮屈な枠組みを豪快に破壊していくくらいに凶暴であるということだ(その意味ではワールズ・エンド・ガールフレンドやジョセフ・ナッシングの音楽小説に置き換えたような世界、といっても通じるのかもしれない)。 初読である現在の感想を率直に記すなら、否定的な印象と肯定的な印象が半分、というところだ。否定的な印象を抱いたのはその作品世界があまりにも「閉じて」いることで、七尾旅人氏にしてもそうなのだが、ここには

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    laiso 2006/03/29
  • Krafty | Yさんのこと

    五年ほど前に私が生まれて初めてのウェブサイトを作った頃、あるBBSの書き込みがきっかけで、名は秘すがYさんという方と時折メールを交換するようになった。まだダイアルアップの時代でメッセという手段も知らなかったので、メールを二週間に一通ずつ送ったり返したりのやりとりを楽しんでいた。それは二年ほど続いた。自分より少し年上の方で、それもあって榛野なな恵氏の漫画の魅力など色々なことを先輩として教わったことを覚えている。 当時の私は、今思い返してみてもネットをやるべきではないような状態の人間だったと思う。卑屈で、それ故に時に居丈高になりうる、攻撃的な人間。自分が何者で、どこに取り得があるのかさえも分かっていない人間。心理学関係の言葉では境界例人格障害というのがあるそうだが、自分自身もある程度まではそれに当てはまる人間なのではないかと思っている。そんな私に対して、今思えばYさんも手を焼いていたのでは

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    laiso 2006/03/23
  • Krafty | 村上春樹氏がフランツ・カフカ賞を受賞

    ミクシィ内でのニュースで知ったのだけど、村上春樹氏が「民族文化の重要性を喚起することなどに貢献した作家に贈られる文学賞」(夕刊フジの記事より引用)であるフランツ・カフカ賞を受賞したらしい。過去の受賞者がノーベル文学賞を受賞していることを考えれば、村上氏が日文学史においては三人目のノーベル文学賞受賞者になる可能性はこれでますます強まった、ということになるのだろう。 かくいう自分が村上春樹氏の作品に出会ったのは高校一年生の頃だった。 それまで自分の読書の好みはあまり固まっておらず、一応は読んでいた記憶はあるのだけど意図的に読むというよりはただ何となく読んでいたという程度のものでしかないので、中学生になるまでどんなを読んでいたのかも実はよく覚えていない。家の棚には色褪せた『ロードス島戦記』が五巻まであるので、多分これを読んでいたのだろうとは思う。大体その程度だ。 だから村上春

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    laiso 2006/03/23
  • Krafty | 竹本健治『囲碁殺人事件』

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    laiso 2006/03/22
  • Krafty | 村上春樹『アフターダーク』

    アフターダーク 村上 春樹 渋谷を舞台に作品は進行する。筋らしき筋は実は存在しない。モデルの仕事を務めるほどに魅力的でありながらどこか精神的に壊れていることが示唆される姉の浅井エリと、両親にちやほやされていたその姉に対して劣等感を抱いている妹の浅井マリ、そして同じく少年時代に対していい思い出を持たない高橋青年、勤勉で知的で洗練された物腰を――いかにも村上春樹氏の作品らしく――有している一方で中国人の娼婦を殴ってしまう性癖を持つ勤め人の白石、その娼婦が利用していたラブホテルのマネージャーのカオルと従業員のコオロギ。そうした人々が複雑に絡み合うことで織り成される一夜の出来事が、静かなタッチで記されていく。 読み始めて即座に連想されたのは例えばヴィム・ヴェンダースの映画だった。私は映画について多くの知識を持っているわけではないので当てずっぽうの印象になるが、例えば『東京画』において映

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    laiso 2006/03/18
  • Krafty | 麻耶雄嵩『神様ゲーム』

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    laiso 2006/03/15
  • Krafty | 人は全てを見渡すことは出来ない

    実戦サブカルチャー講義 阿部 嘉昭 http://d.hatena.ne.jp/VanDykeParks2/20060304/1141466851 http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060306/1141648272 上述したエントリを読んで、思い出したことがあった。まずそのことについて書いてみたい。 批評家の阿部嘉昭氏の著作に『実戦サブカルチャー講義』というものが存在する。これは2002年に刊行されたもので、その前年に刊行された『精解サブカルチャー講義』の続編である(とはいえ、この書物だけを読んでも特に問題はない)。2000年の後期に立教大学で阿部氏が行った講義の草稿として、全十一章で構成されている。直に学生たちに語りかけているかのような平明な文章なので、扱われているトピックに知悉していなくともそのスリリングな分析の中に引き込んでい

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    laiso 2006/03/07
  • Krafty | 中原昌也, 高橋ヨシキ, 海猫沢めろん, 更科修一郎『嫌オタク流』

    オタク流 中原 昌也, 高橋 ヨシキ, 海沢 めろん, 更科 修一郎 自分は音楽が好きなので音楽の話を枕代わりに始めたい。例えばパンク・ロックはギターのコードが数種類しか弾けなくともステージに立つことが出来るという事実を証明した。もちろん、スターになれる人間なんてごくわずかだ。しかし重要なのは彼らは幻想を植え付けられたのではなく、実際に彼らに楽器を持たせてステージに立たせることでクリエイティヴィティを発露する機会が与えられたということだ。80年代になるとDJカルチャーが生まれる。ターンテーブルが二つ。そしてマイクロフォン。譜面が読めなくても構わないし、格的に音楽の勉強をする必要もない。ただ表現したいという衝動と多少の知恵があれば、誰でも何かを主張出来る。もちろん、この世界でもスターになれるのは当に少数の人間だけだ。しかし、ただ与えられたものを受け取るだけで満足するのではなく

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    laiso 2006/02/19
  • Krafty | エリック・ブレス&J・マッキ―・グラバー監督『バタフライ・エフェクト』

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    laiso 2006/02/17
  • Krafty | デヴィッド・クローネンバーグ監督『スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする』

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    laiso 2006/02/15
  • Krafty | 揉め事について

    このブログを始める以前まで自分ははてなダイアリーを使っていたのだけど、その時期にこういう経験をした。 例によって私が日記をつけたところはてなブックマークで内容について「アイタタタ」というタグでその内容を嘲笑された。愛読する中島義道氏に倣って、そういう人物は名指しで批判すると骨身に沁みるだろうと思いIDを表記しトラックバックを送ってその人物の行為を批判してみせた。するとその方からの丁寧なコメントが帰ってきたので、やはり自分のやり方は正しかったのだという感触を得て同時に相手の丁寧さに対して感謝を感じた。ということでこの一件は解決したのだけれど、その一件である方が「揉め事」というタグだけをつけてブックマークされた。そしてこの話題についてブックマークするユーザーが増えたことで、「自動揉め事ニュース」なるものにも私のその一件が取り上げられることとなった。 http://momegoto.g.

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    laiso 2006/02/04
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