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ブックマーク / www.miyadai.com (2)

  • MIYADAI.com Blog - 『サイファ 覚醒せよ』文庫版あとがき:「実存的な曖昧さへ」

    【脱社会的存在】 ■1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件の直後『終わりなき日常を生きろ』を上梓した。「意味を追求せず、まったり生きよ」「意味から強度へ」というメッセージに共感してくれた方も多い。その続編が2000年に上梓した『サイファ 覚醒せよ』である。 ■この単行版『サイファ 覚醒せよ』は私にとって著作上の大転機になった。その少し前に思考上の転機を迎え、それが著作に反映した結果だ。97年の酒鬼薔薇事件から暫く「少年凶悪犯」の取材を重ね、「脱社会的存在」について考察するようになったのだった。 ■『終わりなき日常を生きろ』当時の私は、数年間の援交女子高生の取材を通じて、人は高度な流動性にも拘らず“健全な”〈内在〉志向を保ち得ると感じていた。であれば、どんな宗教が良い宗教か、教義学的論争の大半は、すっきりキャンセルできるだろうと思った。 ■人は、呪術や占いのごとき安全な行為系宗教─

    laiso
    laiso 2006/08/05
  • 2005年邦画ベスト10               宮台真司 - MIYADAI.com Blog

    (1)『紀子の卓』園子温監督(試写) 戦後邦画ベスト5に入る。家出した娘たちがレンタル家族で働くのを知った父親が、彼女たちを指名して過去の団欒を再現するが、父親の天国こそ娘たちの地獄だった──。「人は記憶を加工せずには生きられず(寺山修司的)、それ故地獄に堕ちるが、それもまた良し」という園子温監督のディオニソス的(ギリシア悲劇的)モチーフが炸裂する。 (2)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』青山真治監督(試写) ノイジーな社会。でもカオスが足りない。ノイズ(〈社会〉の概念)はカオス(〈世界〉の概念)じゃない。だから人は生きながら死ぬしかない。だが「ある音楽」がカオスへの扉となり、人々は仮死を脱した。そう。これは監督が表現に託した輝かしき希望だ。或いは「そうした表現に向かうぞ!」との個人的宣言か。 (3)『ある朝、スウプは』高橋泉監督 彼はピュアさゆえに女に愛された。だがピュアさゆえに彼は人

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    laiso 2005/11/20
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