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ブックマーク / miyaoka.hatenadiary.org (4)

  • A huge prim appears! - みやお課

    shibuyaとmeguroの間に巨大な球体が出現。一時騒然となる。 通常は10m立方までしかオブジェクトを作れない仕様のSLだけれど、これは100m以上。huge primというやつか。 まあただのトラブルだなのだけれど、世紀末的な光景や、そこに立ち会う現場感は面白かった。 観察するために視界を最大の512mまで上げてみたら二つ先のSIMまで見渡せて、画ヅラとしてだいぶ街並みが整ってきていることに気付く。日常的な街並みがあってこその非日常的な侵略感が強い。

    laiso
    laiso 2007/03/25
  • ゲームが苦手、という話 - みやお課

    馴れない人と会話するときはあんまりゲームの話したくないなって思ってて自分からは振らないようにしてるけど。 それでも話題に上ったりするときに、 「あー、私は全然そういうのダメです。ぜったい無理です」 というような拒絶を表される場合がわりと多いように感じてる。 そのへん別に不思議でも無いんだけど。でもそれが、なんか引っかかるような節もある。 ダメとか、無理って、なんだろな。うーん。 つまり、不可能の表明だ。 たとえば映画だったら「あんまり観ません」とか、マンガなら「読まない」、小説なら「読めません」とか…。あー、小説くらいになれば「読めない」という不可能の立場もあるのか。けどまあ、映画やコミックは嗜好として享受する・しないという選択判断の表明かな。あまり不可能という意識は無さそうな感じがする。 なんとなくこのごろ世の中的には、ゲームっていう物も映画のように広くエンターテインメントとして捉えられ

    ゲームが苦手、という話 - みやお課
    laiso
    laiso 2007/01/07
  • 前向きな飽きやすさ。低い拘束力。 - みやお課

    ゲームにおいて「飽きる」という言葉は死よりも強い印象さえあるように思う。 まあゲームの死=リトライ継続であるという構造的な意識から、相対的にプレイヤー主導で決定的な終わりを迎えるものが飽きとなるのかな。そのへんちょうど人間の人生における死と飽きとは逆の意味になっているのは一回性のものかそうでないかということだろうか。そしたら一回性ではなく強い輪廻主義を持つ人なら死を恐れず飽きこそを恐れるのか。いや…、逆にそれは悟りか。迷いの対極。まさに解脱。グッドエンドだ。仏教は迷いを減らす手続きゲームとして悟りというゴール求める? でもそれを達成したら、その後はどうなんだろう。そこは一つのステージに過ぎなくて、さらなる悟りのために終わり無く上昇して継続することが保証されているのかな。悟りプレイヤーのためのネクストステージ。おそらくそれは非悟りプレイヤーにとっては見えないから、結果として果てが無いとしても

    前向きな飽きやすさ。低い拘束力。 - みやお課
    laiso
    laiso 2006/08/06
  • 新宿スターツアーズ - みやお課

    自分やビルが立っているほうの地平にでなく、壁面の成す地平線のほうに重力が働いているかののような錯覚を覚える。 また君か。@d.hatena - 最近のリラックスムード http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060627#p3 という話を読んで、あーと思って写真を引っ張り出してみた。 この写真じゃあんまり伝わらなさそうだけど、実際に壁面に感覚を委ねるとホントに浮かび上がってしまいそうで怖かった気がする。ファインダー越しだったからかな?

    laiso
    laiso 2006/06/29
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