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ブックマーク / xura.hatenablog.com (5)

  • ストーキングされるよりストーキングしたい - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    RSSリーダー導入してみる - こんな世界のはしっこで・・・」を読んで。 RSSリーダーは他人に対しては使っていないな。ただ、使った感じがどの様であるのかを体感する為に自分のブログを登録してみてはいるが。 今回、Ad.Y&W氏のこの記事を取り上げたのも、記事自体に言及と言う訳でなく、記事内で紹介されていたサイトに注目したからだ。 「バーチャルネットストーカー・ヨシミ22歳」 まだ続いていたのか。(笑) 昔、ヨシミ氏にストーキングされる日記を目指していた事もあったな。何時の頃からか氏のサイトの存在を忘れてしまっていた。それは氏のストーキングが依頼で行われる事にも起因する。後、誰かにストーキングされる(言及されるとも言う)事に興味を無くしてしまったからだったのだろう。どちらかと言うと、私はストーキングをしたい方のようだしな。 だが、氏が元気にストーキングしているようで良かったよ。 【追記】「

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    laiso
    laiso 2006/08/16
  • 好きだからこそ批判をしてしまう天邪鬼 - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    「EKKEN♂:嫌いな人を批判してはいけない」を読んで。 私も辛辣とまではいかないが「それはどうかと思うよ」という否定的な言及をする事がある。寧ろ、そういう否定的な思いを抱かせる記事を取り上げて書いてしまう所が私にはあるようだ。だが、賢明な方は気付いていると思うが、私は嫌いなブロガーには決して言及はしない、と。 「歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 願うは過去ログ残留」でも書いたように、私は好みのブロガーに対して否定的な言及をする傾向がある。勿論、好みのブロガーばかりの記事を言及するわけではないが、どちらかと言うと否定的な言及をする記事は好みのブロガーが多いといった感じだ。だから、私が「突っかかってきた」としても、その人を嫌っているからという訳ではない。とは言え、私などに好かれても嬉しくもないよと言われるかもしれないがね。(苦笑) 「嫌いだから」という理由で、その人の主張を批判している人を見ると、相

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    laiso 2006/08/06
  • それは本物の愛じゃない - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    「Lubber-Lover 呪いあれ」を読んで。 男女間でいえばさらに生々しいものとなる。「後ろ姿のあのひとにしあわせになれなんて祈れない」という中島みゆきの歌詞があるが、背中を向けられ顔も見えない男のしあわせをどうして願うことができるだろうか。相手がこちらを向いていないだけではなく、こちらはその背中を見続けているというのに。祈れない、だけではない。身体ごとわたしからそらして無かったつもりにしているのならば、その隙だらけの脊髄めがけて鈍器を振り下ろしてやりたい。 想いをかけてくれない男に対して「あなたの幸せだけを祈っている」と、そう呟いていた女がかつていた。彼女は知らない。いや、知っていたのかもしれないが、認めたくなかったのかもしれない。男がそんな女を疎ましく思っていたことなど。何故なら男は日頃から言い続けていたはず。 「それは物の愛じゃない」と。 俺の幸せなど祈るな。おまえ自身の幸せを

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    laiso 2006/06/14
  • 淡々としたブログにも心惹かれる - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    「タルタルソースも空を飛ぶ揉め事ってなんで起こるの?」を読んで。 見ず知らずのブログ管理人が揉め事に巻き込まれているのを見ても手助けしたいという思いは持たないが、矢張り私も知り合いなどが揉め事に巻き込まれていたとしたら手助けをしたいと思う。特に、相手が言っている事に疑問を感じ、それを指摘したくなる事が此れまでにも何度もあった。だが、私は論客ではないので何の手助けにもならないだろうな。それに恐らく、明らかに「それはおかしいと思うぞ」と指摘したとしても、相手は全く取り合ってくれないだろうし、得てしてああいう揉め事の最中の当事者はほとんどの人が冷静な判断が出来ていないように見受けられる。 筆者が「ガチンコで殴り合いでもしてくれとか思ったりもする」と言っているように、二人だけで好きなだけ言い合えばいいのじゃないか。それこそ言葉で殴り合うといった感覚か。 はたして揉め事の一つや二つも起こらないような

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    laiso 2006/05/27
  • 時には読者を想う事も大切なのだな - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    「FC2tyle-Fc2ブログstyle -訪問者を想うという事」を読んで。 訪問者は、あなたの記事に心を動かす。あなたの想いをイメージし、次を期待する。 訪問者を想えば、訪問者も想う。 筆者は他記事でも「訪問者を想う」というタイトルで幾つか記事を上げている。筆者は私のように自分位ではない。私は読者がどう思おうが自分がやりやすいように記事を書いていけばいいと思っている。だから「読者の事を考えて」という記述を見ると反発をしてしまうわけなのだが、それでも筆者の文章ではその無理強い感が感じられないのだ。すると、この記事が目に付いた。 「訪問者を演技する」 この記事は去年7月の記事なのだが、このタイトルは私も何処かで目にした覚えがある。 「ブログというものを知らない」「ブログが嫌いな人」など、たくさんの訪問者を「演じて」楽しみながら、訪問者の視点に立ちましょう。 自分の感情を極力抑え、他者の感情

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    laiso 2006/05/13
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