ナポレオンはフランスの繊維産業としてのファッション産業の振興に熱心で『リヨンをヨーロッパの絹市場とするべし』と勅令を出した程です。 帝政が発足するとただちに宮廷サロンを復活させ、チュイルリ宮のサロンはマリー・アントワネットを凌ぐとさえゆわれる華やかなものでした。 当時の生地も薄く飾りも少なく、スタイルも停滞していた衣装の変化を求め、冬の寒さの中暖炉の火を落とさせたという話も有名です。 それでも寒さに震えながら薄いモスリンのドレスを着て、中には風邪をひいて亡くなったご夫人もいたとか。 女性の執念を感じますね。 1806年大陸封鎖例を発布してイギリスと国交を閉ざしますが、一つに産業革命で機械化したイギリスに対抗する為のものでもあったとか。 フランスの繊維業界を保護し機械化を進めるものという側面もありました。 実際この期間にルーヴェイとセダンの綿織物、サンタンクァンの麻とモスリン、バレンシアの白